『レディ・プレイヤー1』 映画 30年経っても変わってないな、おっさん

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さすがスピルバーグ。アトラクション映画としては過去最高にエキサイティングだ。

登場するキャラクターやら音楽について詳しくは、こちらのブログがすごいのでぜひ参照を。

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物語は、リアルとリアリティとヴァーチャルに関する王道で、展開も期待を裏切るものではない。

だから最後まで安心して鑑賞できる。

こんな普通のストーリーや類型的なキャラクターを、飽きさせる事なく、最後まで見せ切る演出力はさすがスピルバーグ監督だ。

鑑賞している間は、細部にまで溢れ次々と登場するるアニメやゲームを中心とした80年代ポッポカルチャーの引用に魅せられ続け、悲鳴をあげたくなるくらいの興奮の嵐だ。

でも残念ながらそれだけの映画でもある。

二時間強の時間をエキサイティングに過ごせる事だけでも十分に価値があるのは間違いない。

アベンジャーズのキャッチコピーではないが、最高のアトラクション・ムービーだ。

この映画に深いストーリーや整合性のある設定や、人や人生に関する何かや、心を突き刺すような感情の描写を求めるなんて、野暮な愚の骨頂だ。最初から最後まで娯楽として身を浸せば良い。

扱われるガジェットの数々に目を凝らし、隠されたキャラを探し出したり、シャイニングの再現性や拘りの細かさに感動しているだけで幸せな気分になれる。主人公たちがVRオアシスに現実逃避するように、日常の諸々を忘れ、血湧き肉躍る興奮に没頭するのが正しい楽しみ方だ。

 

映画の最後、オアシスの創設者ハリデーの少年時代の部屋のシーンでは、懐かしすぎて涙が出そうになった。スピルバーグ監督の『E.T.』の主人公たちの部屋や、同時代の映画『ウォー・ゲーム』などに登場したアメリカの子供達の部屋、俺たちがスクリーンを通して憧れた豊かなアメリカのおたくの子供の部屋そのもだったからだ。

SF映画やファンタジーTRPG、PCやゲーム機など、あらゆる好きな物が溢れた屋根裏部屋。

E.T.』の影響があまりにも強いかもしれないが、死ぬほど憧れた夢の部屋が、この年になってまた改めてスクリーンで見る事ができるなんて、本当に幸せだ。社会派の映画の傑作も多数ものしているが、頭の中の真ん中は少しも変わってないじゃないか、スピルバーグ

こんなおっさん、いや爺さんの作る映画はいつだって信頼できるし、傑作なのは間違いない。

『総統の子ら』  皆川 博子 本 読書メーター

総統の子ら

総統の子ら

 

 「正義」「平和」「自由」のために一体どれだけの血が流されたのか。これらの言葉を無邪気に信じる愚かさを私は、心の底から憎み嘲笑う。反する「悪」も含め、この世にそんな絶対的なものは存在しない。そうだと定義し強要する人間がいるだけだ。錦の旗の犠牲の上に立つ人の世は、腐臭に塗れた世界だ。戦争によって露になる人の醜悪、残虐、愚劣な様は人間の本質だ。私にも貴方にも刻まれている。そんな呪われた人間が一方で純粋に友や国、家族を想い犠牲的な意思を貫く崇高さが胸を打つ。しかし、それが同時に争いの動機になるのだから救いが無い。

 

▪︎もう一つの感想

ヒトラーナチスを絶対的な悪とする単純で暴力的な普通の戦後価値観に対する視点として、ドイツの若者たちの視点から第二次世界対戦・欧州戦争を描ききった傑作。ゲッペルスがプロパカンダの天才だとするのなら、富裕ユダヤ層も同様にプロパカンダの天才だ。ホロコーストはあったのか?の問いの答えは簡単だ。ドイツのアウシュビッツだけでなく、世界中全ての国が起こしあらゆる所にあったのだ。勝者の言葉だけが「真実」となっただけだ。そんな世界の中で、友や国、家族への想いのために全力で正々堂々と戦った若者たちの真摯な姿が深く胸を穿つ。

 

▪︎追記

著者のイメージから、この前に読んだ『薔薇密室』のような耽美的な作品だと勝手に思っていた。BL的な香りや要素もあるが、ストレートに戦争と青春を描いていて驚くと同時に、強く惹き付けられた。

『パシフィック・リム アップライジング』 映画 おたく第一世代のおやじ、これじゃない感に涙する

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前作の胸熱を期待して初日に鑑賞。

ロボット・バトル・ムービーとして、良くできてはいるけれど、残念ながら個人的にはのれなかった。

どんなアニメや特撮が好きかによって評価が大きく異なる映画だ。

おたく第一世代の俺には洗練されすぎていて、熱くなるポイントがなかった。

 

シン・ゴジラヤシオリ作戦エヴァ白い悪魔量産型の強襲、ナイフのようなスマートな機体、パトレーバー/マクロスっぽい顔やスタイル、ガメラのレギオンクラスター等など、イエガー関連の描写はエヴァが若干多いが、様々な作品からの引用も多く、気がつくとにやりとはさせられる。

でも再現がスマートなだけで、こちらの胸を打つような熱さが一切感じられない。

 

 

前作のダサさや、ぶかっこうさの根っこには、熱い思いが滾っていて観ていて胸が熱くなった。それが『パシフック・リム』の魅力の大きな要素の一つだった。

決めのポーズや、必殺技の叫びのダサ格好良い感じだ。

浪花節なストーリーも7〜80代っぽい王道の物語で、神風特攻にカタルシスを感じると言うあの頃のアニメ的だった。

今回の『アップライジング』は若者の成長の物語で、今時の学園ベースアニメなどではありふれているかもしれないが、映画としての物語の興奮を俺には与えてくれなかった。

ゲッターロボ、ヤマト、ガンダムゴジラガメラがおたくのきっかけだったのか、エヴァ、OOあたりから好きになったのか、それで受ける印象が大きく異なるなと思う。

監督のスティーヴン・S・デナイトは間違いなくエヴァが好きで典型的なアメリカ在住のアニメ・特撮おたくだろう。デル・ロトの極めつくしたマニアック心こそが特殊だったんだと改めて思わされる。

今のアニメ、特撮好きの10代、20代には、この映画はどう映っただろう。

まあ、どうでも良いが。

 

トランスフォーマー』の新作だと言われても頷いてしまう。昼の明るい光の中でのイェガーの戦いのCGなど前作以上にアップライジングされたクオリティは、素直に評価できるが、映画を観るってのは技術を観賞しに行くわけじゃないので、それだけでは映画としての魅力は感じられない。

 

なんだか、有名無名問わず映画ブログですでに書かれている事の繰り返しになってしまったが、それくらいしか言いようのない映画だったって事でご勘弁を。

『薔薇密室 』 皆川 博子 本 読書メーター

薔薇密室 (ハヤカワ文庫 JA ミ)

薔薇密室 (ハヤカワ文庫 JA ミ)

 

 背徳的な狂った研究者、退廃的な美、濃密な薔薇の香り、通底しているのはナチス第三帝国。小説が紡ぐ世界のなんと豊潤な事!薔薇と人体の融合。美しい劣等体として愛でられる奇形児たち。耽美と歪つな偏愛が美しく折り重なり、幻想と史実、倒錯と残虐が彩りを加え、儚くもあり強靭でもある物語を構築している。綺麗事をならべ、無邪気に笑わせたり泣かせたりするのが小説の役割ではないと、満足させてくれる一冊だ。耽美で背徳的な物語の結末は、快楽ともなるような破滅であって欲しかったと願うのは、あまりにも個人的な無い物ねだりだろうか。

『夜空の呪いに色はない』 河野 裕 本 読書メーター

夜空の呪いに色はない (新潮文庫nex)

夜空の呪いに色はない (新潮文庫nex)

 

 このお話が、捨てられた者たちによって紡がれていることに改めて心が痛くなった。捨てた側の者たちも登場するが、彼らは彼らで真摯に生きているだけに、そんな彼らから捨てられた主人公たちが真摯に生きていく姿は凛々しくあると同時に痛々しい。一つひとつの思いや考えを丁寧に言葉にしていく、もしくは言葉にできない事柄の形を表現していく、作者の文章には、毎回心打たれる。生きていく事の責任、歳を重ねる事の重さをしっかりと受け止める七草、真辺たちはもちろん、それ以外の全ての登場人物が愛しくて仕方ない。

『トレイン・ミッション』 映画  初老、がんばる

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ジャウム・コレット=セラ監督、リーアム・ニーソン主演の『フライト・ゲーム』に続く、郊外の住宅地とNYを繋ぐ通勤コミューターを舞台にしたハイテンションアクションムービー。

「沈黙」のスティーブン・セガールか、密室のリーアム・ニーソンか、だ。

 

列車を舞台にした傑作は、内外に数多い。『ミッション8ミニッツ』『カサンドラ・クロス』『暴走特急』『アンストッパブル』『新幹線大爆破』...あげ始めたらきりがないほどの傑作揃いだ。

密室とタイムリミットと言う2大要素が緊張感を産み、サスペンスを盛り上げる。

 

そんな中、あの傑作『フライト・ゲーム』のコンビが飛行機に続いて通勤電車を選んだのだから、鑑賞しない訳にはいかない。

大傑作とは言えないが、十分に見ごたえのある映画だった。列車映画に新たな傑作が加わった。

 

列車を舞台にした映画の多くは、コントロールの効かなくなった列車の行方がサスペンスの肝になるのだが、この映画のポイントは列車そのものではなく、密室の空間で展開される謎がサスペンスだと言うのが面白い。

 

基本の構造は『フライト・ゲーム』と同じだ。謎の人物を密室の中で探し出す。その中で次々と困難な障害とアクションが発生し、我らがリーアム・ニーソンが、高齢な肉体とタフな精神で解決していく。

それだけの映画だ。なのに最後まで目が離せず、テンションが途切れることがない。

脚本の練り込みの高さと、贅肉を削り取り台詞でなくカットで状況を説明する演出のおかげだ。

主人公の背景を、説明的な台詞抜きで理解させるアバンタイトルだけでもよく分かる。

 

ストーリや謎の部分の面白さを紹介すると、映画の面白さが半減してしまうので詳しくは書かない。

残念ながら『フライト・ゲーム』で驚かせてくれた”あんなシーン”に代わる驚きのシーンはない。が、列車ならではの◯◯や◯◯はしっかりと見せてくれる。(予告やポスターでも分かるだろうが)お約束の◯◯もかなりの迫力だ。しかもそれだけで終わらない。凡百な映画ならそこをカタルシスにする所を、謎解きとそれにまつわる事柄を最後のカタルシスにしている所が凄い。中盤以降、次々と発生する事柄が繋がっていき、エンドタイトルではお腹いっぱいになる。

もちろん振り返れば突っ込みどころも多いが、そんなつまらないリアルの事は鑑賞中は忘れさせてくれる。普通の生活を送る少し疲れた60歳の主人公が、状況に徐々に巻き込まれていく中でヒーローになっていく過程が、無理なく描かれる。

 

良質なサスペンス映画として、映画館での鑑賞をお薦めする。

初老のリーアム・ニーソンの、アクション俳優らしくない活躍をハラハラとしながら観るだけでも十分に楽しい。

『シェイプ・オブ・ウォーター』 映画 身体と心が満たされるセックスは、醜女だって美しくするのだ!

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2018年アカデミー賞作品賞受賞作。

奇才デル・トロ渾身の、異形な二人のファンタジー・ラブ・ストーリー

 物語は、ありきたりなお伽噺だ。

 

人魚姫は一目惚れした王子に会うために、想いを伝える声を失った。

本作の主人公イライザはあらかじめ声を失っている。恋する対象である人魚は発する声を持たない。

それでも次第にお互いの想いが通じあっていく様子が、この映画では素敵に描かれる。

優しい気分になって、誉めたくなる、大切にしたくなるのは良く分かる。

 

しかし、私にとってこの映画は、優しいものではなく、セックスの満足こそが全てだと唄い上げた映画だ。

マイノリティな嗜好を否定せず、それぞれの性的快楽の追及こそが幸せだと静かに叫んでいる映画だ。

 シェイプ・オブ・ウォーター = me = 愛の形を描いた、マイノリティを肯定する映画だ。

 

映画の中では、主要な登場人物のセックスとその満足度について、しっかりと描かれる。

敵役の男ストリックランドは、欲求不満の妻から強制的にベッドに誘われ、乗り気でないながらも、始めればマッチョな欲望をぶつけるだけのセックスをする。ノーマルな二人の性交はただの獣の交わりにしか見えず、心は互いに擦れ違ったままだ。

主人公の友人の画家は、ゲイとして欲望を開放したいと思う若者に気色悪いと言われ、セックスも心の交流も拒絶される。

主人公の同僚ゼルダは、結婚当初は絶倫の旦那に毎日満たされていたのに、最近ではまったく相手にされず、旦那の存在そのものが邪魔になっている。

この満たされないセックスの状態にある3人と性的な話と無縁なロシア人が、主人公を助け、彼女の充足した人生を実現していく。

 

イライザは、満たされる事のない毎日の中でオナニーを日課にしていた。セックスの代替行為で一人自分を満たす事で、自己完結していた。

彼女はモンスターと出会い、心の交流を重ね、やがてセックスを行う。

自己完結していた女性が、異形の異性により体の欲望を満たされるのだ。

パカッと開いて、ズドンと飛び出す性器の話をする時のイライザの嬉しそうで楽しそうな顔は、可愛らしい。

例え、異形=獣との性交について語っていたとしても。

 

部屋から溢れるほど溜まった水。

滴って周囲を濡らしまくる水。

一挙に開放されて飛び出していく水。

 

シンプルで力強いエロス、女性のエロスを直接的に描きながらも、色彩のマジックによる美しいシーンが続き、スクリーンから目が離せない。

 

身体も心も満たしてくれる相手を見つけ、手に入れた最高に幸せな女性が願うのは、その浮遊感溢れる快楽の永遠の持続だ。

社会から切り離され、男と女だけの世界になったとしても。

それは狂気でもあるが、狂喜でもあるのだ。

だからこそ、ラストシーンは美しく、同時に儚い。

 

 デル・トロ監督は、怪魚人映画への愛と『美女と野獣』への不満からこの映画を創ったと言う。

野獣が美しくなるのではなく、野獣のまま愛しあうべきだと。

言葉にこそされていないが、野獣のまま愛しあうことにはセックスも含まれ、本人にとって幸せであれば獣姦ですら美しく正しい行いだとメッセージを発している。(獣姦肯定ではなく愛に正しい正しくはない。本人に充足を与えるのならばマイノリティな嗜好でも否定はできないって意味だ)

 

幻想的な色彩と、優しい登場人物、お伽噺の筋立てで、上手に隠してはあるけれど、このメッセージこそが、監督が偏愛している事柄の核だと私には感じられた。

 

 

過去の映画へのリスペクトや、レトロな空気、映画の快楽に溢れた画などから、老体のアカデミー会員を煙に巻き、見事受賞に至ったが、そこに込められた想いは、まっとうな人たちは明るい公の場所では認められない、しかし切実で強い「愛」の讃歌だ。

 

デル・トロ監督は、本当に凄い。

 

キリストの復活を象徴してるだの、これで怪獣映画もアカデミーが取れるようになっただの戯れ言はどうでも良い。

画家の部屋の壁面に北斎の富岳百景の浮世絵が隠されているように、美しく優しい怪獣映画の後ろに隠されているセックスの物語について、マイナーな性的嗜好も否定しない「純粋な」愛についてもっと語られるべきだ。

と私は思う。