ライトノベルズが大嫌いだ。何故だかしっかりとは把握していなかったけれど、完璧にだめだ。昔からサブカル系は大好きだったし、ジュブナイルだって大人になってからでも好きだ。ソノラマだってスニーカーだってコバルトだって、本棚を調べれば結構出てくる。アニメも好きでアニメージュなんて創刊号からナウシカの掲載が終わるくらいまで全て集めて持ってる。エバだって楽しんで観てたし、キャラクターだのお約束だのに興奮した。カリオストロを映画館で観た時には、あまりに人が入っていないんで友達全てに奨めて白い目で見られた事もある。ついでにいえば映画の音だけで構成されたアルバムも買った。当時ビデオなんてなかったし、台詞の一つ一つ、車やその他の設定の一つ一つに興奮した。
いつごろからかアニメがつまらないもので溢れていた。アニメがつまらなくなったんじゃない。つまらないてクソのような作品が溢れていた。
そのクソの延長にライトノベルズがある。いくら読んでもだめだ。まずあの絵のタッチが生理的に駄目だ。その上、あの馬鹿な口調とロリな価値観。最悪だ。
なんでだろうとずっと考えてた。今でも考えてる。大人になったから?違う。サブカルもニューアカもどん欲に飲み込んできたんだぜ。そう簡単に柔軟さと新しい物好きでミーハーな気持ちがなくなるもんか。
大塚の『キャラクター小説の作り方』を読んでいて、ふっと気が付きそうになった。
狹いんだな、クソの作品は。閉じてる世界と価値観だけで成立していて理解できない、イヤ共感できない読者と自分逹を区別して特権的な気分になれる人間にしか向けられていないんだ。全ての構成要素がアニメやライトノベルズやゲームの世界としか繋がっていない。分かる人には分かるって感じは嫌いじゃないし、その感覚は良く分かる。実際良い創作物には程度こそ違えそうした差別的な部分がある事が多い。そこがまたそこはかとない魅力になっている。でもそれは閉じた世界の閉じて卑称な仲間だけに向けられたものじゃない。
一つの作品として全ての対象者に向けられていて、引用やリスペクトや影響やらなにやらは共通の系だけじゃなく他分野のものや現代、古典その他のあらゆる異なるカテゴリーにある物と時に強く時に薄く繋がってる。
ライトノベルズの世界は、引き籠もりの世界だ。あのアニメ絵もロリコンで実世界の女性に相手にされないもしくは相手になれない男にしか向いてないんだ。だから気持ち悪くて吐きそうになる。
佐藤友哉の小説だってそうだ。気持ち悪い。
萠えなんて、クソだ。ロリは気色悪い。ロリコンは立派な嗜好だ?その通りどんな嗜好も立派な趣味だ、でもそれは気持ち悪くクソのような嗜好である事に変わりはない。ロリコン趣味の男は気持ち悪いんだ。それを自覚した上で、ロリコンは素敵だと言え。そうしたら俺と友達だ。
趣味嗜好に貴賎はない?ある。厳密にある。その上で好きだって言えばいんだよ。自分は気持ち悪い趣味の持ち主である事をちゃんと気が付けよ。俺はSMが好きだよ。アブノーマルだから好きだ。変態だと言われる行為だって知っていてても、自分の嗜好は変わらない。
なにはともあれライトノベルズの世界の気色悪さは、どうにかなって欲しい。ああいう気色悪い小説が売れて、小説読んだ気になって、レベルの低い評らしきものをネットで書いているのを読むと気色悪くなる。本当に良い小説が作られにくくなる。どうか肩身を狭くして日陰で静かに読んでいてくれ。迷惑だ。
これだけ書いてあれだけど、それでも良い作品は結構ある事も知っている。でもそれはすでにライトノベルズじゃない。発表の場がライトノベルズだっただけで、小説だ。「イリヤの空」や「ブギーポップ」なんて大好きだ。