『悪魔を憐れむ歌』 蓮見圭一

埼玉愛犬家連続殺人事件のノンフィクション。
フィクションだろと思うくらいにぐいぐいと話に引き込まれる。主犯の関根ではなく、彼に従うしかなかった従犯の視点で話しが構成されている。取材者の視点ではなくあくまでも従犯の視点で語られる話はやはりどうしても物語めいてします。それが分かっていても実際に行われた犯罪の凄さ、想像ではなくリアルに人が行った行為としての生々しさと残忍さと狂気が伝わってくる。
貧しさや弱者と言う社会的なものが犯行の背景にあるわけではなく、人の持つ狂気の暴走が起こした猟奇事件。社会的な因子ではなく満たされてなお、満たされているからこそ起こる悲惨で壮絶な殺人。己の欲望の充足だけが関心事となり、障害となるものをいとも簡単に排除=殺害していく。関根だけの特殊な感覚ではない。バブルの失われた10年以降の日本人の体に染みついている価値観、金や地位などの具体的で即物的なものでしか優劣や欲望を満たす事がでなきい価値観=生き方や社会のありようの中では、すでに誰の中にもこの狂気の芽は植え込まれている。それが発芽するかどうかの境目はじつはとても小さい。
背中を走る幽かな悪寒は、誰にでも当てはまるものだろう。

それにしても、あの素敵なラブストーリー『水曜の朝、午前三時』の作者がこうしたノンフィクションをものしていたとは、驚き。

追記:この本は以前角川文庫で別名義で『愛犬家殺人事件』と言うタイトルで出版されていたのだけれど、その時の売り言葉として作者がこの作品の主人公山崎だと言うもだったらしい。つまり作者がこの山崎本人だったと言う事だけれど、その場合『水曜の〜』を書いたのも山崎って事になるんだけど、そうなのか?ちょっとすぐには信じられないな。