「凶気の桜」

原作はすごく面白かった。閉塞感に溢れた社会に対する怒りを暴力という唯一持った武器で打破しようとする若者(笑)が単なる暴力バカではなく、ネオ東条と言うネオ右翼の理論武装で爆発させていく。やることはかつ上げにレイプでしかないのだけれど、それでも愚かながらも崩壊し腐敗していく日本への怒りを思想で打破しようという若い青さに共感できた。もちろん思想をたんなる言い訳にしか使えないバカさも、しっかりと表現されていた。スピードと強さで社会を変えて行こうとした愚かな若者は、結局既存の大人逹に取り込まれ、ヤクザ・右翼という装置の一部として消費されていく。その哀しさまでもが作品の魅力だった。
映画は公開前後の主演の窪塚のエキセントリックな言動のせいでかなり色物的な扱いになってしまっていたが、ある程度原作のテーマをしっかりと踏襲していた。後半ヤクザ組織の原田芳雄の存在感や江口洋介の好演の三郎の存在感が強すぎてストーリーもそちらに重心がぶれてしまっていた。窪塚逹三人に最期までしっかりと中心をおいたままでストーリーを語れていたら、新しい青春映画として傑作になっていたのに、惜しい。
キングギドラの主題歌は酷いよ。アメリカナイズされて棘を抜かれ価値観も無くなった日本を憂いてネオファシズムを選択した連中の話を、アメリカの音楽で表現するってのはないだろ、例えラップが白人中心のアメリカのカウンターカルチャーとしてスタートしてとしても、日本人のラップは黒人のラップにはなれない。メジャーの音楽シーン、既存の価値観にレジストするのがラップだと思っているならお門違いだ。それこそ黄色い猿の猿まね以外の何者でもない。第一あの黒人そのもののスタイルとファッションを何とかしろよ。て感じだ。せっかく可能性を祕めた映画がこの音楽だけで質が落ちる。