「早春スケッチブック」

いくらでも語る。仕事も無理矢理終えて、放送時間に間に合うように一日の全てを調整して、連日観ています。
20年前の当時、俺は16だったわけで主人公の鶴見慎吾の役と2歳しか違っていなかった。何も変わっていないなと思うと同時に、あの時気が付かなかった事に沢山気付く。
本当の主人公沢田の語る言葉に、大人・男・人の魅力を感じていた当時の気持ちと同時に、今の俺がこの言葉逹を語れるのかのと言う思いも強い。つまらない人間になっていないか?ありきたりじゃないか?同時に奇異を目指すだけの凡人に堕ちていないか?生き生き生きるために努力する事を忘れてはいけないな。遊びこそ真剣なものだ。
同時にこのドラマのストーリーの大筋は実はラブストーリーなんだとわかった。失ってしまった女性と子供を思う男と、過去の自分を捨てた女の取り戻せない恋愛の気持ちの話だ。
まあ沢田の前では本筋ですら霞んでしまうけれど。
やっぱり山崎努はすばらいい。おもわずヘアトニックで7:3わけにしてしまおうかと思ってしまう。
いすずのピアッツアが、昔から欲しかったのはこのドラマのせいだったんだな。欲しいな、ピアッツアネロ。重たい車だし。ジウジアローのデザインなんだよな。彼のデザインしたポルシェのデジタル時計も欲しかったよ。物欲は当時と変わってないな。
樋口加奈子は青い美しさだし、80年代風の雰囲気全開でとてんも気持ちよい美しさだけれど、今なら岩下志摩の、禀とした綺麗な空気が素敵だ。禀と言う言葉の似合う強い綺麗さの発見が嬉しい。
どうして今の時代にこういう芯があって、主張があって、大衆と視聴率とアイドルに媚びす、魅力的で個性的な登場人物が存在するドラマが、無くなってしまったのか。
クドカンのメタな位置からドラマを壊すパワフルさも面白いけど、ドラマの王道で勝負する作品に触れたいぞ。
ってそんなドラマを求めないのが、俺達の仕事なのにね。視聴率至上主義。クライアントに少しでも数字の良い枠を提供する事こそ仕事の目的なんだよな。
どうでも良い。
この3日間は、本当に俺は幸せだ。
「ありゃ、ありゃ、ありゃさ」