『ワイルド・ソウル』 垣根 涼介

戦後のブラジル移民政策での状況は、今まで知らなかった。不覚だ。読後、その当時から変わらない日本政府、役人そして日本人である事への怒りはおさまる事がない。自覚しなけらばならないのは、自分もそうした日本人の一人だと言うことだ。どうしてこの国はこういう事実を子供逹に教える事がないのだろう。無かった事かのように扱ってすごす事の恥を意識する事はないのだろうか。
小説そのものは痛快だ。殺人を犯さず外務省・政府に無策、モラルの欠如をつきつけ、ブラジルでの悲劇を顕わにし謝罪をもぎとる。ラテンな主人公ケイの陽気さのおかげで沈鬱になるかもしれない話を軽妙なものに変えてくれる。男なら誰もが彼に嫉妬するだろう。
俺達の今の生活は、ここに描かれるような人々の悲劇の上に成立している。その事を知らずに生きてきた事を深く恥じる。そして戦後も、いや戦前ですら変わっていない日本人のモラルの欠如を心底恥じる。
最近の日本人はではない、日本人はいつだって、こうなのだ。今ここにあるモラルハザードも、結局は多勢な日本人の総意でしかないのだ。これほど日本人である事が恥ずかしいと思うことはない。今時の若者はとか、古くさい価値観に縛られた爺逹はとか言う言説は逃げだ。自分自身が、こうした日本人としてここにいる事、生活の時々で最終的には大きな流れの一つとして振る舞ってしまっている事を、痛切に恥じる事からしか、最初の一歩は踏み出せない。
責任の回避、自分だけは、誰もがしている事なのだから、露見しなければ何をしても良い、金が全て。モラルの欠如どころではない、モラルと言うものが最初から存在しない。キリストと言う倫理の基準、神と言う絶対者に変わるものを持たない日本人の、どうしようもない弱さだ。もちろん逆の面の良さがある事を認めた上ででの話だ。
安易に宗教を求めない。神や絶対者の救済やモラルの判定はいらない。結局はイマジネーションの問題なんだ。くだらない鼠色の性根しかこの国にはないんだ。辛すぎる。
澁澤の「快楽」と言うキーワードと根は同じ事だ。
個としての基準を持たない人間こそが、結局はどうしようもなくてつまらなくて、有害な存在になるのだ。
俺は、俺だけの快楽を求める事で自分の基準を硬く確かなものにしたい。どうやって生きるかの問題なのだから。もちろん他者を犠牲にしてって事じゃなくね。

って書いて全然この小説の良さを伝えられていないな。主人公逹の復讐と、それぞれの決着の付け方は痛快だ。深く因果な問題を、完成度の高いエンターテイメント小説としてまとめ上げている。未読の人にはぜひ読めと、声を大きくしてお奨めしたい。読め。
ひとつだけ残念な事がある。前半のブラジル移民逹の生活が少なすぎる。もっともっと細かく彼らのおかれた悲惨な状態を書いて欲しかった。後半の復讐劇をより感情移入できるものにするためにも、読者の一人一人にこの問題の深さを実感させるためにも。

■単行本 幻冬舍 『ワイルド・ソウル』