『さよなら妖精』 米澤穂信

切ない物語を、無条件に受け入れるつもりはないし、あまりストレートに使いたくない言葉だけれど、この本はできるだけの人に薦めたい、切ない物語だ。
突然現れたマーヤと言う異国の少女。
二ヶ月の間、彼女と共に過ごした時間を回想し、残された謎と心に残った思いを探るミステリー。
殺人も、密室も、世界も、日常の不可思議な謎も出てこない、それでも立派なミステリーだ。小説、物語が好きな人に読んで欲しい、愛おしい本だ。
不安定で未成熟な自分に言葉にならない焦燥感を抱く主人公の少年の心情、そして少女との時間のおかげで変わっていく思いには、深く共感できる。彼が傷つきながら、同時に周囲の仲間逹を傷つけながら少しだけ成長の一歩を踏み出すさまには、胸が苦しくなる。
主人公の、何者でもない自分の現状への焦りに風穴を開ける少女の、なんと禀とした事よ。十代の後半にこうした存在と出会いたかった。この物語にも、あの時出会いたかった。
ミステリーであると同時にこの物語は、三つの恋のようなものの物語だと思う。その三つの恋の中でも主人公と行動を共にするクールな長い黒髪の少女のキャラクターの魅力は、それだけでのこの本の価値だと言える。物語の終わり近く、彼女の言葉の苦しくて切ない思いには、涙を流しそうになる。男女の別を問わず、分かっていても下手くそな生き方ってやつがある。その事は本人が一番知っていて、嫌悪を抱きながらそれでも自分は捨てられない、そんな状態を大切な人にだけは分かって欲しいと思う。でもそうした気持ちを言葉にする事すらできない、したくないと言う生き方は、切ない。ある時期俺にも間違いなくあった思いだ。彼女が少年に心情をぶつける言葉は、主人公の気持ちとは別にゆっくりと鋭く心に染み込んでくる。彼女の想いを知り、改めて胸が苦しいほどに切なくなる。クールな彼女の想いが行動が、とてつもなく愛おしい。

この本は、上質な物語だ。
静かに切ない気持ちにさせてくれる。そして切ないだけではなくて、一歩踏み出さなければならなかった少年の幽かな希望が、俺にも明日があるんだと、つらいけれど明日も生きていこうという想いを与えてくれる。
ミステリーとしてではなく、物語としてお奨めする。

このミステリ・フロンティアの大まかなコンセプトが『鴨とアヒルとコインロッカー』とこの一冊でなんとなくわかった気がする。大仰な謎や、こりかたまった秘密ではなく、日常の延長の中にある小さな謎や、人の行いや気持ちの不思議をミステリーとして広く解釈して、小説としてきっちりとした何かを伝える物語を出して行こうと言うシリーズなのだろう。
そうであればとても嬉しい。少なくともこの二冊は、素敵な小説だった。このまま続けていって欲しい。当たり外れが多く、その上ちょっとキワモノっぽい香ばしい匂いが漂うメフィスト講談社ノベルズミステリーよりずっと期待できる。
しばらくは東京創元社ミステリ・フロンティアは買いだ!

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