「修羅雪姫」

で、日本映画専門チャンネルの粋な計らい、「キル・ビル Vol.2」公開記念の「修羅雪姫」「修羅雪姫 怨み恋歌」「子連れ狼 三途の川の乳母車」一挙放映企画の一本を観る。

監督は藤田敏八。びんぱっちぁんですよ。七十年代東映映画の醍醐味満載の、娯楽映画だ。小池一夫節もばりばりで、何の文句もありません。
物語の整合なんて言う、つまんないものをいったいいつから映画に期待するようになったんだろう。こういう映画を観ていると、しみじみ思う。別にいいんだよ。映画の中での整合さえついてりゃ。理屈がなきゃ納得できない、物語に集中できないって言う愚か者は、映画なんて観なくていいんだ。スクリーンにバチンと映し出されて切り取られたその瞬間の醍醐味と、感情の動き、映画ってこれだろ。まあ頭のよろしい方々が(屁)理屈こねて楽しむ映画も、実は好きなんだけれど、でもこういう映画も絶対に必要なんだよな。映画はアートだけでも娯楽だけでもなくて、どちらの要素も大切で、時にアートで時に単なる娯楽で良いんだ。この映画で大政奉還後の日本と、政治で荒れていた日本の比較と、怨みと言うルサンチマンの象徴としての雪なんて視点で語る奴がいたら、そいつは不幸だ。そんな風にしか映画を観られない奴は、みんなで同情してやれば良い。
梶芽衣子のあの目を見たら、もうハートは鷲づかみでしょ。殺陣のシーンもがつんとやられるよ。冒頭の雪降る路地での、大物の博徒の親分を斬るシーン、この舞台めいた間と溜めのオープニングは完璧だ。ラストの雪積もる中での雪の叫び。一度も声を上げて泣かなかった雪の最後の叫び。感動ってものじゃないけど、心に染みるぜ。

それにしても、タランティーノはかなりこの映画に敬意を払っていてびっくりした。まさか教会のあのシーンまで、この映画の中で見られるとは。ありがちなカットだけど、間違いなくこの映画のあのシーンをそのままやってるよ。人数と男女の関係があえてだもの。ついでにIGのアニメのエピソードもこれだったのか!と目から鱗。アニメじゃないけど、あの異質でがさがさしたグロテスクさもこの映画の中にしっかりとあるじゃないか。分かるよ、タランティーノ。俺だってチャンスを貰えれば、こういう映画自分で作りたいもんな。娯楽映画だよ必要なのは。ハリウッドのマーケティング映画なんてクソ食らえだ。

ちなみに釈由美子の「修羅雪姫」とは似て無い上に、異なるもの。タイトルだけだ同じなのは。