『凹村戦争』

こういう話は、嫌いだ。ナイーブな感性って事を信じてないから。
こんな柔らかでナイーブ(センシティブではない)な世界観で閉塞を感じ、日常にきゅうきゅうとしている奴は、どんどん落ちていってくれ。俺は、管理教育も、監獄社会も、絶望感も、受験戦争も、全て乗り越えてここにいる。誰も世界なんて破壊してはくれない。日常を自分のものとして、先に進もうと言う意志は自分で闘って(乗り越えて)手に入れるしかない。そんな一歩を踏みだそうとしないやつは、切り捨てて良い。誰もが強くある必要はない。社会や周囲に何も希望がない?当たり前だ。甘えるな。何もない場所でどうやってサバイブしていくのか?それだけが俺達の問題だ。物理的な力や才能や脳力が全てじゃない。どんな小さなものでも自分が自分であり、社会に向き合う武器がある。はずじゃない、自分がいるだけでもそれが武器だ。だから、ある。その事を自覚して生きていくしかないんだ。逃げるな。誰も助けてくれはしない。まっとうに向き合って逃走する事は、逃げじゃない。何もないとナイーブになってみせて満足したり、ここじゃないどこかを夢見るだけで閉じこもる事、夢想だけする事、手近なセックス、そうしたものが逃げなんだ。
あー気分が悪い。