『イノセンス』山田正紀

映画のノベライズ。と言う事になっているが、正確には映画のエピソードの前日譚。やたらと内省的に語るバトーが格好いい。押井のバトーともスタンドアローンのバトーとも違う、山田のバトーが情けない程に内省しまくっている姿に共感する。
非情だと自分を意識している中年の男が、実は内心でどれだけ自分のために言葉を発しているか。まるで自分の事のようだ。自分で言葉で定義して、意味づけをしないではいられない、この寂しさとやせ我慢は、俺のものだ。
蘊蓄などどうでも良い。自分とは、自分が愛している物事の事、沸き上がる感情の整理、他人への接し方、全てに自分が納得できないと表現できない。内に秘めているつもりの物事が、それでも人に知られてしまう事のとまどい。
映画とは違う形、扱い方で、自分と他者と言うテーマが取り扱われている。失った者を取り戻せないと自覚している寂しさには、共感し涙するしかできる事がない。
この作品での山田正紀の文章はけっして上手いとは言えない。無垢ーイノセンスーと言う単語を使いすぎるし、切りつめた文章でまとめようとしていたスタイルが時に崩れている。しかし、全体に流れる寂寥感と、やせ我慢と、男の未練との距離感が、その欠点を補ってあまりがある。
夢の中の息子のエピソードだけでも、このイノセンスには意味がある。泣けない男は、夢から覚めて、独り静かに泣くのだ。