「スター・ウォーズ トリロジー」

俺のスター・ウォーズ体験は小学生の時だった。今でも実家に帰ればパンフレットは残っている。
俺にとってスター・ウォーズはこの三作しかない。新しいエピソード1〜は別の映画だ。
ルークとハンとレイアの冒険活劇、ダースベーダー、ドロイドと皇帝そしてマペットヨーダ。ワクワクと大きなスクリーンに釘付けになったのを思い出す。
今見返せば、この三本は間違いなくアメリカ、ハリウッドの映画だ。思想も日常へ楔を打ち込むような情熱もない。観賞中だけは日常と切り離されるイベントとしての映画だ。
意味は無い。監督のイマジネーションと映画の力に体を任せ、脳味噌を使わずに楽しめば良い。ストーリーだってディテールはでたらめだ。語る必要もない。
バックにある帝国と反乱軍の闘いはあくまでも背景で、親子の相克と言うシンプルなストーリーラインに何を読み込めと言うのだ。

また違った意味でもこの映画の世界はアメリカだ。黒人は第二作になって初めて主人公逹を騙す辺境の元犯罪者という役割で登場し、東洋人に至っては三作目のジャバザハットの館の女ダンサーや反乱軍の兵士Dくらいでしか登場しない。黄色な白人に似た人間もどきはマペットの異星人で充分だって事か?

アメリカンニューシネマの青白く力のない映画を軽々と乗り越え、映画を娯楽と割り切った制作の意志は賞賛にあたいするが、映画は娯楽でしかないと誤解を生んだと言う意味では罪深い。

監督のイマジネーションを形にするために開発されたILMの技術は今みればチープかもしれないが、あくまでも技術は監督のイメージに従事するものだと言うスタイルは凄い。才能の無いクリエータはその技術に従属して二番煎じのできそこないを作る事しかできない。悲劇だ。時にその悲劇がキッチュな傑作を産む事もあるのでいちがいに駄目だとは言い切れないけれど。「宇宙空母ギャラクティカ」なんてルーカスの技術だけで作られたクソ映画だけれど、ヘタウマで面白かった。