「25時」

スパイク・リーが描く原題アメリカ白人の物語。実際に投獄(と言うか自発的に刑務所に行く)されるまでに猶予の時間が与えられるかどうかは知らないが、この映画の中にある主人公の猶予のどうしようもない時間は、過去のバブリーな繁栄から予期せぬ出来事で地獄に転がり落ちる道程にある俺達の生きる今だ。
グラウンドゼロを見下ろすアパートに住む金融屋は金銭的には恵まれセックスも欲しいままだが、転がり落ちていく友人を救う事はできない。モラルを説く仕事をするもう一人の友人は悩み続け十代のションベン臭い娘とキスする事で落ちていく友人を救う事など考えられなくなる。無償の愛を提供し共有していたはずの女は疑われ疑惑が晴れた後も、やはり男を救う行動は何もできない。
決定的な出来事で落ちていく俺達を救うのは、親父の語る安易で緩い妄想めいた夢だけしかなく、それも落ち行く地獄への短い道のりの間だけの救いでしかない。緩く温く脳天気な善意に溢れているだけ、傷ついた主人公をより痛々しく見せるしかない。すれ違う明日の希望無垢な子供との一瞬の触れ合いも、ただ通り過ぎるだけだ。後戻りの出来ない救いのない世界への道をただ目を閉じて待つしかない。
感情的な展開やカメラを使わない分だけ淡々とどうしようもない寂寥が胸に突き刺さる。高層ビルに旅客機が突っ込んだアメリカだけの話じゃない。今この国に暮らす俺達の話でもあるんdな。