3年以上使っていたTU-KA京セラのFunstyleをついにお蔵にして、au乗り換えでneonを買った。
良いね。大きさは、いまどきとは思えないほどでかいし、通話の時の大きさや、耳への接触感や、ボタンのフィーリングも、まるで駄目だけど、このデザインは素敵だ。
六面すべたが直角でスクエアな造型って、実は今までの携帯にはなかったものだ。金型からの抜き出しの容易さのためにどこかで平行でスクエアな平面を犠牲にしなければならないらしい。そこをデザイナーの拘りから、抜きの方法まで指示して実現したのがこの形、質だと言う。こういう志まで含めてデザインに惚れた。
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0602/01/news006.html
プロダクトデザインって何だろう、てことまで考えさせてくれる。
機能最優先だったら、こいつは大失格だ。カメラの解像度は一世代前だし、大きさも尋常じゃない。液晶のサイズも一回りくらい今の主流よりも小さい。こうやって書き続けると、ほんと機能としての売りが見つからないくらいの造りだ。だけれど、最低限な今必要とされるスペックはすでにクリアしているし、携帯するツールとしてのデザインにファーストプライオリティを置いて考えた場合、答えとしては素敵なものの塊だと思う。
機能が要求するデザインでも、究極までデザインを極めた物はそれはそれで美しい事もある。たとえばコンコルド。が、通常機能優先の場合、デザインは結局とってつけたものになる。一連のauのデザインプロジェクトは、そのあたりを携帯で哲学として見せてくれていたと思う。これはdocomoじゃできない。最先端の技術・機能を誇って新機種を導入続けるDocomoのスタンスには、デザインを切り口として何かを提案する必要なんてないからだ。suicaやfricaが使える事を優先して、旧世代のビジネスパートナーが納得しやすく、資料として数字にできるスペックしか、肯定されないのが、市場一位のガリバーの宿命なんだろう。つまらないよ。
未だに機能・スペック・新機種至上主義が多いようだけれど、アホじゃねーかと思うよ。
持っててそれだけで嬉しい携帯って言う選択肢も、なかなか心地よいものだ。
まあこんなどうでも良いことを、ぐだぐだと書いている自分もそうとうアホだけど。それぐらい語りたくなる魅力があるわけだよ。数年ぶりに携帯買い換えたから、嬉しいだけだろって言うなよな。



追記:Docomoでは、auのデザインプロジェクトのようなまねはできないと書いたけれど、この春の新作の2機種(型番は良く分からんけれど、手になじむ流線型のやつと、neonと同じようなコンセプトの四角いやつ)は、素敵でした。同じようにデザインを極めてプロダクトとしての美しさを形にするという方法は素直にうれしいです。Docomo侮りがたし。っていうか偏見の塊ですみません。巨大企業の余裕の力を見せ付けられました。