「魍魎の匣」

京極堂シリーズでは、『魍魎の匣』はあまり好きではない。『 絡新婦の理』『鉄鼠の檻』がシリーズ中ベストだと思っている。だからこの映画にはそれほど思い入れを抱かずに鑑賞することができた。
姑獲鳥の夏」よりも数段面白くまとまっていたと思う。物語も映画の世界に合う形で整理され、複雑な筋を観客が理解していく過程と、映画の世界を理解させる過程が、複数視点の時間軸の構成で成功させ、キャラクター達の存在をうまく取りまとめている。一歩間違えればひっちゃかめっちゃかなキャラクター達の人間関係と性格をすんなりと理解させる再構築はなかなかの仕事だと思う。
後半の箱屋敷に主人公達が突入してく過程は、テイストが一変しすぎて好きずき分かれる所だろう。俺はダメだった。ここが惜しい。それから上海のロケは、実物の迫力と存在感は十分に感じるし、三丁目の嘘くささを払拭はしてくれるが、どうみても上海・中国にしか見えないカットが多すぎた。京極堂の日本は、現実の日本とは別の世界だと割り切り積極的にそうした印象を残したのかもしれないが、この演出は失敗だと思う。箱屋敷以外は、特にこの日本と違う日本である必要はなく、逆に違和感ばかりが目についてしまうから。
今回京極堂の妖怪落としの騙りを、あえてばっさりと切ってしまうと言うシーンがあった。ここが思いのほか良かったんだ、実は。小説版での一番の場面を、BGMとカットバックだけで処理してしまってなお、前後の騙りで満足させるなんてそうそうできる技じゃないぞ。御箱様のシーンだけでもこの映画は、一見の価値ありだ。特に京極堂ファンにとっては。ただしシリーズをキャラクター小説して楽しんでいる人や、蘊蓄だけが命の人には一切お薦めしない。それは残念ながら映画では表現できないし、個的な想像の完璧なビジュアル化は映画では無理だ。
なにはさておき、俺にはこの映画はずいぶんと楽しかった。京極堂側の人々の存在感も、映画そのもの進行・構成も。ついでに言えば榎木津が四肢を切断された少女を発見し、犯人と対峙するまでの一連の流れは、流血での転倒から、箱詰めの少女、その動きまで残虐な描写でありながら説得力を持って観るものを納得させるかなり演出力の高い名シーンだと思う。
実相寺、原田と来て、次回「狂骨の夢」は誰が監督をするのか?それぞれ癖のある監督が、自分なりの解釈で京極堂を再構築してくれるのを楽しみに待ちたい。いっそうの事、岩井俊二市川崑流に撮らせるってのも面白いんじゃないかと内心思っていたりする。