「桐島、部活やめるってよ」 ★★★★

たしかに、これは語りたくなる映画だ。
卒業して年月を重ねたおっさんやおばさんだけでなく、ついこの前まで現役だった連中もそうだろう。学校と言う空間から、次の世界に移った/移らされた人それぞれが、いまある場所から「あの頃」を思い出し自分語りをしたくなる。だからあの頃をまだ持ってない現役からは遠い映画かも知れない。俺が10代の時に観てたら、橋本愛に恋に落ちてたかも知れないけど、それくらいな気がする。
今の生を語れないからこそ、登場人物のそれぞれが生に描かれ、交わす言葉はリアルだ、と感じさせる。あそこにあった閉塞感も空気として観客にはリアルに存在してる。
この映画を観て、前田に救われる人は幸せだ。屋上の逆襲、例えそれが勢いと妄想だつたとしても、にカタルシスを感じられるのなら、あの頃にきっちりと青春を過ごしてこられたんだろう。
桐島の不在に足下を掬われることなく、好きなことに友人と熱中できて、無気力だけど何気についてきてくれる後輩だって沢山いる。スクールカーストの位置に関係なく、この状況だけで十分に幸せだよ。俺は彼には共感できなかった。
学校と言う社会の中で秩序を象徴していたスーパースターの突然の不在が、本来のそれぞれの姿や本質、価値の無根拠さを顕にし、優しい楽しいとは無縁な本来の社会の空気を明確に感じさせる。すべての登場人物に等しく冷酷な覚めたスタンスがこの映画を只の青春映画にせず、傑作とさせてる点だ。(ブロンド)梨紗や(ビッチ)沙奈だけでなく、宏樹や前田だって等しく覚めた視線で描かれている。
抜けられない閉塞感に包まれた社会は、勝利の条件が明確でない勝敗のない戦場だ。絶望的な戦場の中で、それでも戦い続けなければならない彼らの姿にエールを贈り共感すると同時に、希望を感じ勇気を得る。溢れかえる凡百の糞のような青春邦画・ドラマとは異なる、ビターだからこそ伝わる甘くない優しさと希望が、この映画の一番の魅力だ。
俺の戦友は、宏樹とかすみだ。
桐島の友人で小器用な才能を持つことで閉塞とは無縁だと他人にも自分にも装う事ができているつもりだったが、内底では触らずにいた何者でもない自分自身の姿や、闘ってすらいなかった自分がモヤモヤと姿を表し、振り返るひかりを眩しく感じながらも一歩が踏み出せない空っぽな自分に戸惑っている宏樹。
映画について男子生徒と楽しく語れた中学とは違う世界で、本当は気になることや口にしたいことを隠しながら、微妙なバランスを一生懸命にとりつつ窮屈な日常をやり過ごす。でも一人で「鉄男」を観に行くように自分の価値観を守り続ける健気な戦士。
この二人に比べたらベタヘタと友達とゾンビ映画を語れる前田なんて可愛いもんだ。
宏樹やかすみ、ついでに前田に梨紗たちすべての登場人物が、今ここと地続きな閉塞的な世界のなかでもがき闘っている姿を、時々思い出したように観たくなる映画だ。
この映画の後では、単純な感動やお涙だけを目的とした青春映画や普通の映画なんて、まともな神経持ってたら作れなくなる。

最後に自分語り。
高校時代は、水泳部で県最低の記録を出し、二年からは幽霊部員で、成績は上の下くらいのそこそこで塾なんて行きもしないで、週末は映画ばっかり一人で見に行ってた。演劇部や映画研究会の連中なんて糞みたいで、相米の凄みやリンチの狂気、つかのラジカルが理解できないような奴らに加わって青春するなんてこっちから願い下げだと頭のなかで叫びながら、一日も早く東京に行って創作とアーバンライフを満喫してやると妄想を続け、栗本と龍とチャンドラーと早川SFを読みまくり、高校で再会した美少女と原田知世に熱烈に片想いをしながら、高校時代の主役は所詮その年代がピークで俺は大人になってからピークを迎えてやるんだと不良の暴力に怯えつつ、形のないなにかと闘ってた。
そりゃかすみや宏樹、ブラバンの部長に共感するわな。
て自分語りをしたくなる、傑作でした。