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「アイ アム ア ヒーロー」 映画 襲う阿呆に、撃つ阿呆

映画

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 死者を火葬で葬り、神による許しを持つ宗教に根付いた死生観や幸福観を信条の一部としていない日本人には、ゾンビは難しい。

根源の怖さが、肌感として実感できないから。

と思ってたが、ゲーム「バイオハザード」や「ウォーキング・デッド」を経た今、ショッキングホラーや、シュチエーションホラー、人間の怖さみたいな事に焦点をあてれば、ゾンビモノも日本人にとって、十分に怖いモノになるなとは思っている。

 

では、この映画が怖いかと言われれば、気色悪くて不気味だったりはするが、本質的に怖い作品ってわけではなかった。

不満はあるけれど昨日まで同棲してたカノジョが、醜い姿に変身し不気味な動きで迫ってきたら、哀しい怖さは感じるが、心底震える根源的な怖さはそこにはない。

 

ウイルスに侵され、ZQNになった人々から襲われ続ける事は、パニックとしては怖いけれど、観ているこちらにとって存在を揺すぶるような恐怖かと言えば、それとは違うアトラクション的な怖さだ。

ゾンビ映画の定番ショッピングセンターでのお約束、生身の人間の怖さも、あくまでもお約束的だ。

 

恐怖の質や種類はさておき、ゾンビ映画としてのこの映画の魅力であり一番の観どころは、間違いなくショッピングセンターでの主人公英雄の活躍だ。

 100体を超えるZQN対たった独りの主人公と言う図式の中で、常識にがんじがらめに縛られていた平々凡々でつまらないへなちょこの男が、クレー射撃のライフルを持って孤高に闘い抜く。

今までどんな映画でも観た事のなかった、ヒーローらしい銃撃戦だった。ここで次々と撃たれるために対象をゾンビにしたんだろと疑いたくなるぐらいに、清々しいほどの大殺戮だ。

 

全てのZQNを倒しきって、守るべき女性たちを振り返る主人公英雄の立ち姿は、まさに英雄ヒーローだ。

このワンカットのために、この映画は創られたと言っても過言じゃない。

大泉洋の演技も存在感も、まさしくここでの存在感のためだとも思えた。

さえない男が、自らの冴えなさを自覚し、カノジョが変容してもリアルな対応ができず、異質な相手を排除する勇気も見いだせず、ギリギリまで常識に縛られて、現実から逃げていたつまらない普通の男が、二枚目としてでなくカッコつけでもない、どうしようもない想いから引き金を引く瞬間とその後の壮絶な決意と行動を、言葉でなく演技で見せつけた大泉洋の役者としての力と存在感は、世界基準の凄さだ。

このワンシーンを観るためだけでも、この映画を観る価値がある。

 

今週原作の週刊スピリッツの連載が最終回を迎えた。数年に渡って連載された原作と2時間あまりの映画が同じ展開を描く事ができないのは、当たり前のことだが、最終回、最後の見開きで描かれた英雄の姿は、違うシュチエーションにいるとしても、同じ現実に地続きな冴えないがリアルな俺達の代表としてのヒーローの姿としては、同質なモノだと感じた。

格好悪いし生々しい欲まみれでへなちょこだけど誰でもないヒーロー、ザビエル禿の癖に独りサバイブしていくヒーローとして、平凡な私達の胸を熱くする。

格好の悪い勇姿。このヒーロー像が、ブレることなく描かれ抜いた事、邦画ながらも中途半端な恋だの正義だのの話に陥らなかった事、その奇跡だけでも高く評価したい。

 

なにはさておき、ラストの銃撃戦の壮絶な展開を堪能してほしい。