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『ディストラクション・ベイビーズ』 映画 殴るのは止めて、痛いから

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映画を観る理由の一つに、未体験の興奮、涙でも怒りでも笑いでも恐怖でもなんでも良い、を味わえるんじゃないかって期待がある。

 

この映画の予告編を映画館で観たときは震えた。

剥き出しで理由のない暴力。柳楽の存在感が不穏で、スクリーンから未体験の興奮が伝わってきた。

 

結局スクリーンでは観られず、オンデマンドでの鑑賞になってしまったが、期待に違わぬ興奮を体験できた。

 

あらすじ

愛媛県松山市西部の小さな港町・三津浜。海沿いの造船所にふたりきりで暮らす芦原泰良と弟の将太。喧嘩に明け暮れていた泰良は、ある日を境に三津浜から姿を消す―。松山の路地裏、強そうな相手を見つけては喧嘩を仕掛け、打ちのめされても食い下がる泰良。彼に興味をもった北原裕也が、「おもしろいことしようや」と声をかける。

 

柳楽優弥が良い。

ほとんど台詞がなく、表情だけで見せる暴力の発露の瞬間の眼差しに魅せられる。

バンドマンに襲撃する間際の目なんて、静かにズレている異世界の恐怖しか感じさせない。

 最後まで貫いている不穏な空気が良い。

十代の頃多くの人が持つ暴力の衝動。

後付も含めて理由があるような気になるが、根本には周囲のあらゆるものへの破壊の欲求しかなかった。

スポーツやセックスで健全に昇華できない。

昇華できるものでもない衝動ってのがあった。

 今も内側になんとなく残ってる。そんな手応えがある気がする。

 

映画の不穏な空気が、理不尽な暴力に嫌悪を感じると同時に、それ以上の興奮と、飼いならして無くなったはずの衝動の残り滓を刺激する。うかうか安心して映画を観ていられない。

 

なんて幸せな映画体験だ。

 

物語に登場する十代の男二人が対照的だ。

説明もなく己の衝動に正直に人を殴り続ける柳楽。

柳楽に乗ることで、己の暴力性を安全な場所から発露する菅田将暉

ビビりで、虎の威をかることでしか自分の衝動を表せず、逆に安心な場所では狂気を誰よりも爆発させるが安全な弱者にだけ的を絞るという姑息さは無くなさない。

『ワールド・オブ・マイン』の一人を思い出す。 

最終的に迎える結末もそれぞれに相応しいもので、映画に震えた観客にもカタルシスを与えてくれる。

 

 

身体の中にも暴力の衝動があったなんて、格好つけて書いたが、私は間違いなく菅田だ。

姑息でビビリで、自己の暴力の衝動さえストレートに発露できず、痛々しく姑息な男だ。

想像する殴られた時の痛みやその後を怖がり、自分を曝け出せなかった/出せない。

彼のエスカレートする行動を観ている間、自分の情けない姿が写すだされているようで、心が痛くてしょうがなかった。

 

だから、倫理に外れ、外道な奴だと分かっていても、同時に柳楽にどこか共感と憧れを感じた。道徳を軽々と超越して自分の欲望だけに正直に生きる事、痛みやしがらみを気にする事なく衝動をぶつける事を、どうしようもなく肯定したくなる。

 

この映画を十代の時に観ていたらどう感じていただろう。

狂い咲きサンダーロード』を十代に観た時の焦燥感と、閉塞感を吹き飛ばしたくなった衝動と暴力への欲望を超え、今と違う何かになっていただろうか。

過去を振り返るセンチな気分や、無い物ねだりや、今この場所からの逃避を求める自分だけにはけっしてなるまいと思って生きて来たが、校内暴力全盛期に、荒れる学校の中で暴力の予感をやり過ごしながら悶々としていた自分がどう感じたか知りたいと思った。

 

野蛮さや暴力を単純に感情的に否定して、この映画を観ないまま終わるのはもったいない。

柳楽の存在感と、観ている事の痛みに震える体験を味わって欲しい一本だ。