『夜は短し歩けよ乙女』 映画 君と一緒に夜の京都を冒険したい
黒髪の乙女がだれだけキュートか、それがポイント。
彼女の歩く先に待っている世界のワクワク感とアニメーションの動きが楽しい映画だ。
湯浅監督の作品の中では、実は『ケモノヅメ』が一番好きで、あの爆発的で芸術的な動きをどこかで期待していたので、映画の冒頭では少し肩透かしをくらったような気分になった。
しかし、湯浅監督と森見ワールドの幸福な融合により、日常とちょっとずれた不可思議な世界が、圧倒的な存在感と多幸感で目の前であれよあれよと展開していくにつれ、スクリーンをみてるだけでずっと幸せな気分になれた。
偶然で世界を広げていく乙女と、必然でしか人と繋がれない頭でっかち自意識過剰な愛すべきぐうたら男とのご縁ができあがっていく展開をニコニコしながら見守っている、これがこの映画の正しい楽しみ方ではないか。
傑作『マインド・ゲーム』のような怒涛の動きやイメージの炸裂はないけれど、他の正統的アニメーションのような動きとは違う動くことの快楽、登場人物も小物も背景も関係なくアニメーションであることの本質的な快楽を、鑑賞中ずっと味わせてくれる。
黒髪の乙女がずんずんと歩くことそのものが、映画の快楽になり物語は大きく展開する。
原作の改変?改悪?
目の前にあるものは、原作の世界をアニメーションとして解釈したもので、改変でも改悪でもない。ちょっと抜けてる一本気な乙女がキュートに、京都の夜の冒険を歩き抜けていく楽しさ、それがこの作品の本質だ。
文字で描かれた世界をさらに広げる、ゲリラ演劇のミュージカルパートの音楽の楽しさはこの映画でしか表現できない。
ロバート秋山のパンツ総番長の歌声は、聞いてるだけでにやけてしまうじゃないか。このキャストは正解だ。
原作で色濃い京都の街であることの意味や空気は、残念ながら映画の中では薄い。
それでも乙女が歩き、先輩がぐずぐずと屁理屈を捏ねなが些細なことには積極的な不思議な行動力を発揮する街は、独特の世界として描かれている。
なにより春夏秋冬が一夜で過ぎていく街の姿は、背景としてではなく、一人の登場人物として映画の中でその存在を主張している。
あっと言う間の90分。
アニメーション映画としての快楽を堪能し、同時に乙女と先輩のご縁の始まりにキュンとなって柔らかい心持ちで席を立つことのできる映画。
人生は短いんだし、こんな映画体験は買ってでもするべきだ。