『人生タクシー』 映画 おしゃまでお喋りなチャドルのイラン女子小学生に癒される

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イランで6年の自宅軟禁、20年の映画製作を禁止されている監督ジャファル・パナヒ氏がゲリラ的に撮影したドキュ・フィクション映画。

日本からでは想像しづらいイランの日常生活の様子を通して、創造することの不自由で歪な環境を告発していく。

声高にではなく、車内に流れるのはどこか牧歌的でのほほんとした空気を通してなので、どこまでもユーモーラスで穏やかな印象の映画だ。

 

何よりも20年の間映画製作を禁じられるということは、ほぼ一生映画を撮るなということで、監督としての死を宣言されているに等しい。

それに負けず、海外の映画賞にまで応募する監督の強い意志と、この映画の中での表情とのギャップに驚く。静かに微笑む監督の顔からはその情熱や強さは想像しづらい。

 

タクシーに乗り込む人たちの状況は様々だ、車上狙いの強盗、女教師、海賊版DVDを違法にレンタルする小人、交通事故の被害者、金魚を抱えた迷信深い姉妹、姪、社会派美人女弁護士。それぞれが人生の片鱗を滲ませる会話をして降りていく。

その合間で、イランの社会の現実が語られ、緩やかが厳しい監視社会、政府の強硬な独裁的な政治が堅牢に存在することが伝わってくる。女性の扱いが低く、兄弟間でもしっかりとした遺言がないと財産を親族に身ぐるみ剥がされ、洋画や洋楽は違法で、バスケットボールを観戦に行く時でさえ政府から言いがかりのように拘束されることがある社会だ。

 

おしゃまでおしゃべりな姪っ子の明るさが、この映画を軽やかで明るい雰囲気を作ってくれるが、その姪でさえ社会の"ルール"が自然に刷り込まれていることがわかるシーンには静かに衝撃を受けた。悪いことをしているから怒るのではなく、撮っている動画が検閲の対象になって公開できなくなることに怒る彼女は、とても自然に社会の価値観で状況を把握している。

 

別にイランだけが特殊な環境ではない。観客という異邦人にわかる形で監督が提示しているのは、どの国にいても同じような状況で子供も大人も生きているのではという問いかけだ。あたりを見回せば、確かにここでももそこでも、自分を含む人々が正しいと思っている価値観で自然に振舞っている。何が「正しい」かの答えは知らないが、そら恐ろしいのは当たり前だと思っている人の生き方だ。

 

てことを考えさせる内容だけれど、けっして堅苦しい映画ではない、ずっとタクシー内で話は進み、ところどころでユーモラスな出来事やアクシデントがおこりクスリとさせられる、暢気な空気のある作品だ。

 

数十年前、展示会の仕事でイランに2週間ほど滞在したことがあるが、会場とホテル、レストランとの往復で、街中には数回しか出なかった。公園で男性同士が仲良く時間を過ごしているのが印象的だった。

イスラム圏特有の女性の衣装チャドルやヒジャブの下には、ジーパンや派手なシャツを着ていて、舞台裏の外国人しかいない場所では、若い女性達がチャドルを脱いでくつろいでいたのが印象的だった。

しょせん短期間の滞在者には見えない社会の体制や監視や拘束がああした社会に存在していたのかと、改めて考えさせられた。

 

蛇足:蛇足の短編について。新宿武蔵野館だけなのかどうかは知らないが、本編の前に2本日本の監督によるこの映画をリスペクトしたらしいショートムービーが上映される。これが酷く、不愉快だった。

1本はドキュメント映画監督の映画か映像かという中身のないものだ。監視官の口から唐突に教育勅語なんて単語が飛び出す、左巻きの思考停止な価値観が丸出しで、パナヒ監督やこの映画を本当に見たのかと問い詰めたくなる。人の映画を口実にせずに自分の映画だけにして欲しい。

もう1本は、内容もないし、映画の製作を禁止されたらそれでも撮りたいのは自分の息子の様子だという、そんなものしか撮りたいと思えないなら、映画監督なんて止めてしまえという中身のない、ついでに思考もないくずだ。

誰が企画したかわからないが、『人生タクシー』のためにぜひ速攻で同時上映を止めていただきたい。