「馬鹿がのさばるこの世界」 世の中

癌患者の受動喫煙可能な場所での勤労についての、大西議員のヤジについてのニュースが囂しい。

 

大西議員は過去のヤジからも、センスもなく機転の聞かない旧態の政治家だと思うし、下品で好きではない。

 

が、今回の発言については、彼擁護ではなく、彼の言葉を巡るあまりの馬鹿馬鹿しさになんか一言書いておかないと気が済まない。

 

三原議員の発言を聞いての彼のヤジ「癌患者は働かなくていい」が、癌患者の勤労を否定し、患者そのものを否定する発言とされている。

 

馬鹿が難癖をつけている以外の何ものでもない。

やり取りの流れを聞けば、またあの場が受動喫煙環境を巡る会議であることも考慮すれば文脈から「癌患者がわざわざ受動喫煙に苦しむような場を選んで、働かなければいい」という意味になるじゃないか。

癌患者の勤労否定の発言にしか聞こえないとしたら、国語はゼロ点だ。

大西議員の言葉が足りなかったとしても、普通の会話じゃないか。ヤジなのは下品だけれど。

 

文脈から意味を読む必要があるのか?との疑問や怒りもあるだろうが、会話や議論ってそういうものだろ。裏を読めなんて事を言ってんじゃない。三原議員の言葉に対してのヤジなら、そう取るのが普通だ。

 

これをまたマスゴミの皆さんが得意がってとりあげてるから始末に悪い。いつものフレームアップすらしない。言葉ヅラだけ並べ、さも当然のように、おのれの読解力のなさを晒し続けている。

つまり視聴者のほとんども、読解力のない馬鹿ばっかだ。

 

それが、とてつもなく気持ち悪い。

繰り返すが大西議員の擁護じゃない。下品な議員は淘汰されれば良いと思ってる。

 

が、馬鹿が溢れ、おのれの馬鹿さを棚に上げ、得意がって正義ヅラして相手が反論できないような正論を振りかざして攻撃力しているのが気持ち悪くてしょうがないんだ。

 

文意を汲み取れない自分が正義の基準で、そこにはまらないモノは悪だとし、感情的に弾級する母親的社会の弊害と気色悪さ極まれリだ。

感情的でヒステリックな感覚と、優しさと平等で馬鹿を擁護し増殖させる。

別にマッチョな父親的社会の復権をって言ってるわけでもないので誤解なきよう。

 

あの会話の流なら、そうした場所でしか癌患者は働く場所がないのか、どう対応すれば良いのか、受動喫煙の是非でなく選択できる仕組みは何かなどに議論を発展させるべきもので、飲食店の受動喫煙を完全に実施しようとの思惑とは離れたものになるはずだ。

ヤジるなら最初から飲食店の全面禁煙ありきで癌患者をその結論のダシにするような事こそ、癌患者を利己に利用してる事をこそヤジるべきだ。そんなつもりはないと返された、だったらそれに気づかない貴方は馬鹿だぐらい言っても良い。

 

私は、喫煙者だ。映画や本の世界での喫煙の文化や描かれ方の様子に憧れたり素敵だと思ったりする。

こう書くと、ヤニ厨のキチガイ擁護だと指摘する嫌煙厨が出てくるかもしれない。

それこそ馬鹿極まれりだ。

 

この文章の流れ、文脈では喫煙の良し悪しはテーマとしてあげていない。

感情的でヒステリックな「喫煙」と言う単語への条件反射でしかない。

文意が汲み取れないのなら、喫煙者だろうが嫌煙者だろうが、馬鹿だ。

 

文脈や会話の流れの中で、言葉の意味することを理解出来ない馬鹿が正しいとなってしまう、この気持ち悪さがテーマだから間違えないように。

議論をする、ロジカルに言葉をやりとりするってことには学習や訓練が必要だ。

その事をしてこなかった、努力をしてこなかった馬鹿に、普通の人があわせる必要はないし、そんなレベルの低い状況を嘆き、なんとか変わらないかと思うことは当たり前だ。

 

ほんと、馬鹿が平気な顔してのさばってる今の日本は気持ち悪い。

幼稚園に戻って恥って概念を学び直して欲しいものだ。