劇団イキウメ 『天の敵』 演劇 東京芸術劇場シアターイースト ごま油香る、食欲と脳味噌を刺激する舞台

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劇団イキウメ。

徹底して菜食にこだわる料理家とALSにかかった余命5年のジャーナリストとの会話の中から浮き上がってくるのは、料理研究家の驚くべき遍歴。彼は122歳だった。健康によい完全食とは何なのか。

 

冒頭の料理番組収録シーンで、牛蒡の金平と入り豆腐ご飯を実際に調理する時のごま油の香りが劇場に広がり胃袋を掴まれた。上手くて美味い演出だ。

胃袋が虜になっている間に、食べる事、生きる事へと物語が広がり、最後まで緊張感の途切れない密度の高い舞台だった。

 

人にとっての完全食を追い求めるうちに行き着いたある物、命の塊である食材を身に取り入れる事で、永遠の若さを手に入れた男の孤独と苦悩から見えてくるのは、食物連鎖から外れてしまった人間の存在。自然から逸脱してしまう人間と言う存在の有り様。

食べる事だけではなく、人工の太陽さえ人は作ってしまうのだ。

天の敵は、永遠の存在になった料理家だけでなく、老いへの恐怖から倫理を超えて永遠の命を求めてしまう行動をする人そのものなのだと問いかけてくる。

例え完全食を求める最初の動機が、飢えに苦しむ貧しい人たちが健康に生きるためだったとしても、結果は傲慢で不幸としか生まない。

ごま油の香りに、腹減ったなと食欲に取り憑かれるように、若くありたいなと願う事、人の欲望じたいが敵になる根源なのだと実感させる演出は見事だ。

 

主人公にインタビューをするジャーナリストが最初は122歳である事など鼻で笑い、途中から事実として受け入れながらも倫理の視点から抜け出せない。インタビューの終わりには、圧倒的にリアルになってしまった倫理を外れた事柄を無理に笑いに変える事で目の前の信じられない事実を虚構にしようとすらするが、主人公のまっすぐな瞳の前では転化できずに終わる。

物語の終わり、余命5年の我が身と妻子供の事を思いながらの言葉にできない苦悩と、彼を包み込む妻の最後の一言は、観る者の心にも染み込み、結論の出せない共感と認められない自分の欲望を突きつける。

明日が東京の最終日だが、一人でも多くの人に観てもらいたい舞台だ。

 

役者が良い。

特に主役の浜田信也と小野ゆり子が素晴らしい演技を見せてくれる。

どんな存在なのか明らかにされない劇の前半では浜田のまばたきしないようなぶれない視線が不穏な存在感を醸しだし、過去の回想の中では活き活きと輝く瞳と大声で笑う姿が良く似合う好奇心と探究心に溢れた男を実感させる。過去が現在につながった後は、冒頭の一直線だった視線の空気が変わり心情を表す意思の溢れたものになっている。

こんなに上手い俳優を知らなかった自分が残念だ。

小野ゆり子も女子大生から80歳の老婆まで演じきり、浜田の演技を正面から受けて返す柔らかな芯の強さを熱演していた。どこか儚げな空気感が浜田の存在を受け入れた役の深さを体現していた。

他の8人、イキウメの男優、客演の女優それぞれが時にユモーラスに時にシリアスに物語に最適なあり方で演じている。

 

空腹感と頭の満腹感を抱え、余韻を抱えながら劇場を後する幸せな体験だった。