『ハクソー・リッジ』 映画 君は生き延びることができるか?

f:id:zero0:20170709194023j:plain

 

第二次世界大戦沖縄戦で米軍に実在した銃を持たず参戦した戦士の実話。

銃を持たず激戦の戦場に赴き、何十人という負傷兵、その中には日本兵も含まれた、を救出したと言う事実に驚かされる。

本人は生前頑なに映画化を拒んだと言う。

彼の心情はわからないが、普通の映画化であれば拒絶したくなる気持ちも理解できなくはない。ヒーローや奇跡の人として扱われたいからの行動ではなく、あくまでも信仰の結果としての事実でしかないことを、娯楽の中で美化されたり誤解されたくないと言う真摯な思いだろう。

 

沖縄戦、オーストラリア人監督、中国資本が幅を効かす現在のハリウッド製作の映画。ちょっと考えるだけで、醜悪で残酷な日本が貶められ、宗教に裏付けられた正義が実行される事で感動を生むリアル風味のプロパガンダ色の強い戦争映画なのだろうと思っていた。

が、この映画はまるで違っていた。

狂的な信仰を貫いた男の戦場での行いの物語だった。

狂った男が起こす狂った行動が正義を生み、感動させる映画だった。

 

己の信じる信仰から銃を持ち人を殺すことはできないが、戦争で同胞が死んでいく事に耐えられず、米軍兵として戦争に参加したいと熱望する。

この考え自体がすでに狂っている。信仰と言う理屈がなければ成立しない対極的な考えが自然に一つものになっている。

この狂った価値観を真摯に描き切った事がこの映画の一番の肝だ。

また、この映画は、政治的な価値観については一顧だにしない。

天皇陛下万歳と叫びながら突撃する日本人も非人道的な火炎放射器で日本人を人としてではなくモノとして燃やす尽くすアメリカ人も同質な存在として描かれる。

なぜなら信仰に基づく信念が生んだ戦場での感動的な奇跡を実現した男の存在を描く事だけが目的だから。

 

冒頭兄弟喧嘩で兄をレンガで殴りつけるシーン、その結果「汝殺すなかれ」の言葉が人生に深く刻まれるシーン、のちに妻となる看護婦との出会いのシーン、志願する前の生活のそれぞれのシーンですでに偏執的な性格が描かれるが、それらは全て肯定的に描かれるし観客にもなぜかポジティブに映る。

真摯で素直で少し不器用な好青年に見えるから不思議だが、良く考えれば気持ち悪い。

 

悲惨を極める戦場で、もう一人、もう一人と祈るように口にする姿は感動的だ。

しかしあの状況の中で、延々と諦める事なく人を救う事のみに専念する強さは狂気以外の何物でもない。

彼は神の声は聞こえないとはっきりと口にする。それでもなお信じる神の教えを守り通す姿は、神の在不在は、信仰の本質でなく、信じ貫く事のみが力を持つのだと気づかされる。

冒頭からラストの気高いシーンまで一貫して描かれるのは、この狂気と同質の信仰を貫く意思の強さだ。

狂気と言えば強すぎるのであれば、ありえないほどの徹底さが、結果として人に感動を与える。なんとも因果な映画だ。

しかし、突き詰めれば人の心を動かすのは過剰なまでの何かであるのだ。

そんな当たり前なのに、日常では隠されている事に気づかされる。