『団地』 映画 逃げりゃ良いんだよ。

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映画館で予告編観た時とはまるで印象の違う映画だった。

床下収納に身を隠した旦那の不在が団地に巻き起こすてんやわんやのコメディ映画だと思っていた。

まさかの展開に驚く。

 

藤山直美と岸田一徳が演じる老夫婦の、やんわりとしながらもキツイ口調の大阪弁のやりとりが素敵だ。この映画の空気の心地よさは二人の自然な大阪弁が醸し出している。

 

中盤あたりまでの団地に住む人々の噂話をめぐる騒動はそれだけでも面白い物語だと思う。

暇を持て余し、社会との接点のほとんどない主婦やぐーたら亭主ら、団地と言う狭い世界だけで暮らす人たちの興味本位と知力のかけらもない無責任で条件反射的な噂話が、いつのまにか「真実」となり、真摯に生きる人を攻撃し排除していく様は、笑いを誘うと同時に背筋を凍らせる。団地だけでなく、この国や世界にあふれている今の姿だ。

妄想から勝手に噂話をし、その噂話が真実であるかのように頭の中で摩り替わり、その責任を他者に強制し脅し、真実を隠している悪人だと迫り、正義ヅラをした弱い被害者だと騒ぎ立てる。どこかの政党や左巻きがよく使う手法だ。

周囲のコードから外れた独自の価値観で生活する人を許容できないどころか、想像すらできない偏狭な視野と価値観を無根拠に信じ揺らがない人たちは、周囲を見回せばいたる所にいるし、鏡の前にもいる。

この気持ち悪い連中からの同調圧力の塊のような責めを、気持ち良くすぱんと切り捨てるのが藤山直美だと思っていたら、物語は意表をつく展開を迎える。

 

「なんでもあるのが団地だ」との台詞で煙に巻いているが、このオチはこの映画の評価を真っ二つに分けてしまうものだ。脚本/監督の阪本氏は十分承知であえてこの展開を描いたとしか思えない。

公開当時のインタビューでは「顔」で高い評価を受けた藤山直美とのタッグで十数年ぶりに映画を作るにあたって「らしくない」映画を撮りたいと思ったと答えている。

それもあっただろうが、この言葉の裏側には、この映画で描こうとした本質を隠し、少しでも多くの人にメッセージを伝えるための答えだと思う。

 

この映画で最終的に伝えたかったのは、辛い状況があったのなら、逃げて良いんだって事だ。

それが死ぬことだったとしても逃げることは答えになると逃げを全面的に肯定している。

不慮の事故で死んだ息子のいる世界に、夫婦そろって逃げる事は、穏やかな生活を手にいれる事だし、暴力的な父親を殺すよりは死んであの世で穏やかに暮らす事の方がどれだけ幸せか。

間抜けに見えるラストシーンは、逃げ切った人たちの天国の様子だ。

こんな倫理に反するメッセージをストレートに映画として世に投げかけるわけにいかないから、一見突拍子もない展開に見せる手法を阪本監督は選択したようにしか見えない。

 

ほのぼのと笑わせて、うすら寒い閉塞感との戦いを見せながら、最後には世間では口にし辛いが正しいメッセージを突きつけてくる。

ある意味恐ろしく、とても強い映画だ。

ほんと、そこに居ることに拘らず逃げりゃ良いんだよ。