「ドント・ブリーズ」 神も仏もあるものか

 

 

 
「ドント・プリーズ」だとずっと勘違いしてた。
ホラーと紹介している人もいるが、恐怖映画と呼びたい。
始終恐怖感が半端なかったし、登場人物のうち主要な一人の人生の背景に心理的な恐怖を感じた。
 
ストーリーはとてもシンプルだ。 
適当な逃げ道を準備しながら泥棒で小金を稼いでいた三人のテーィンが、過疎区画に住む大金を手にいれたと噂の老退役軍人の家に忍び込んだら…。
 
ワンシュチュエーションで、盲目の老人1人と若者3人が対峙するというアイデアが秀逸だ。
盲目だと言うだけでどこか舐められ、老人であることでさらに甘く見られていた老人が、盲目であるからこそ、若者3人を恐怖に陥れていく。若者3人がクズな設定なだけに、冒頭では泥棒の被害者である弱い老人に観客も同情するが、話が進んでいく中で、反撃力の高さ、老人の隠れた狂気が順に露わになっていき、誰にも感情移入できないまま、観客が恐怖のシュチエーション取り残され翻弄され続ける。
 
盲目の老人の反撃で、彼と同様に何も見えない闇の中で若者が追い込まれていくシーンが面白かった。暗視フィルーターのような画面の中、近寄ってはいけない方向に進んでいく女子がどうなるか、昔懐かしい志村後ろ状態の恐怖に目が釘付けだ。
 
最終的に誰一人、正義感や倫理感では感情移入できない。強盗に入る若者3人に許される余地はないし、老人の生活を破壊して良い理由はない。反撃する老人に正義はあるが、途中で明らかになる彼の行動には同情の余地はない。しかし老人が神の不在を口にするシーンあたりから、登場人物達への見方が変わる。
恐怖の連続に変わりはないが、イラク戦争で戦闘でではなく事故で盲目となり、娘を交通事故で失い、加害者は金で釈放されると言う経験を経た老人の心情、正義をなす神など信じる事ができなくなった心情を想像すると、単なる善悪では割り切れなくなり、老人をモンスターとは思えなくなる。
 
女子が妹に、不公平でも正されないことがある、のような事を説明するシーンがあるが、この作品の通底には、こうした不公平、不平等で理不尽な不幸から抜け出せない状況がある。恐怖の殺戮が続く老人の廃屋のような家だけでなく、状況的に絶望的な閉鎖空間にどちら側の登場人物も置かれているのだ。
明るい日差し、青い海のあるLAへ街から出ていく姉妹は、物語の終わりの救いや希望かもしれないが、その先の世界も同じように神不在の地だとするなら、結局はどこにも救いがない。物理的な恐怖だけでなく、この抜け出せない絶望もこの作品の恐怖だ。
鑑賞後の重く苦い気分は、今ここも同じ閉塞した絶望の世界だからかもしれない。
 
ただ単純に、怖くて面白い良くできた恐怖映画だった事に変わりはないけど。