『スターウォーズ 最後のジェダイ』 映画

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スターウォーズは、オリジナルを映画館で観た世代だ。小学生だったと記憶している。

そこで受けた驚きが基本になっているから、スターウォーズに求めるのは、見たことのないスペースオペラとルーカスをはじめとするクリエータの情熱だ。

宇宙を舞台にした誰も見たことのない活劇映画、娯楽のための娯楽プログラムムービーが、私にとってのスターウォーズだ。

ルーカスが最初に考えていたのはフラッシュ・ゴードンなんだから、目指したワクワクが想像つくってものだ。

 

だから、プリクエルはまったく面白くない。ルーカス本人が作ったものだとしても、あんな付け足しはスターウォーズの登場人物に関係した別物だ。

ヒーローとプリンセスがいて、アウトローが活躍する。強敵がいて絶望的な状況をどう切り開いていくのか?メインストーリーラインはそれでいい。親子の葛藤や師匠との関係も香辛料で、思想や政治や現代にリンクしたとってつけたようなテーマはいらない。

 別の作品でやってくれれば良い。

 

全ての物語の原型にあたる神話やキリスト教の逸話、黒澤の作品からの引用やリスペクトがベースになっているのはもちろん知っている。しかし、それらはスターウォーズのメインではない。あくまでもプログラムピクチャー的な活劇映画、娯楽映画の面白さこそが一番の魅力だ。

 

その観点から見たら、残念ながらラストジェダイは次第点の作品だ。

『フォースの覚醒』がエピソード4の再解釈だった事で、オリジナルのもっていたワクワク感を味わえたのに対して、『最後のジェダイ』では、スターウォーズを新しい物に書き換えようとしている部分が全て裏目に出ている。

選ばれた存在だったジェダイ、フォースの力を行使できる英雄を抹殺し、穀潰しの両親から生まれ捨てられたレンをはじめとする普通の人々にフォースの力を与えた。

仲間のために命を投げ出そうとしたフィンの英雄的行為を新キャラローズが邪魔をする事が象徴するような、古い英雄的な行動を否定し愛こそが大切だと示した。

挑むのではなく、逃げる事を良い事とした。

これはスターウォーズではない。スターウォーズ的な何かだ。

書き換え、新たなものを産もうとする事は理解できるが、それをスターウォーズで行う事に何の意味があるのか?別な作品で新しい価値を示せば良い。

スターウォーズを今書き換えるのであれば、ルーカスが示した映画の面白さを現代ならどうするかを探るべきだったのだと思う。『フォースの覚醒』も決してその部分が上手くいっているとは言えないが、ダイバシティな価値がよしとされる現代で、宇宙活劇映画を作る事の一つの形を示す事ができた。それはオリジナルを焼き直すというある意味非生産的な事が実現させたとも言えるが。

 

とここまで否定しておきながら、長尺な『最後のジェダイ』を最後まで観られなかったかといえば、その逆で最後まで目が離せなかったのも事実だ。

レイアの「あの」シーンを観た瞬間に、そのとんでもぶりにこの映画への期待が吹っ飛んだ。ローズとフィンのカジノでのシーンは、まったく本筋には必要のない無駄な時間だった。

などと鑑賞中これじゃないと感じながらも、宇宙の物理法則を無視したスターファイトや、ルークの隠居生活のシーン、何よりもレンとカイロが互いの立場を超えて共闘するチャンバラシーンには興奮した。視覚的な驚きだけ見ればまぎれもなくスターウォーズで、スクリーンに展開する活劇の興奮は一級品だったことも違いない。

エピソード4の全てのシーン、AT-ATとの雪の惑星での死闘、囚われたレイアのベリーダンスの衣装を着た火星のプリンセスに似たセクシーな姿、森林を駆け巡るスピーダーバイクのチェイス、活劇としての面白さ溢れるシーンは数多い。プリクエルでもいくつかのシーンがあるが、やはりオリジナル三部作には及ばない。

 

『最後のジェダイ』は活劇としての興奮に溢れるシーンは多かったが、物語としてはスターウォーズに似た何かだった。

私には、好きである同時に嫌いでどうでも良い映画だった。

 

ローズについて。

ネットを中心とした評価の中で賛否の話題が多いローズについて、アジア系だからとか顔の美醜だとかで評価を述べるのは愚の骨頂だ。

しかし、ポリティカルコレクトに配慮した多様性の象徴であったり、武器商人などの格差社会の指摘、失敗しても行為自体に価値があるという世界観の提供と普通の人にこそフォースは解放されるという新解釈、特に前述した英雄的行為の否定などから『最後のジェダイ』の悪い部分の多くを担っている以上彼女の存在は、残念ながら私には不快だった。ローズが体現し象徴している事柄がなければ、きっと私も納得ができるスターウォーズになっていたのではないかと思うと、残念でならない。

まあ、レイアのあのシーンがある限り期待が吹っ飛んでしまうのは間違いないが。