『ファントム・スレッド』 映画 幸せと言う名の地獄 平凡な女は愛の名の下に、勝手にミルクシェーキを飲んじまうんだよ

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第二次世界大戦後のイギリス。フィルムに納められた英国の街並みは気高く美しい。

そうした美しい世界を背景に繰り広げられるのは、優雅な音楽と映像で描かれた愛と言う名の恐怖と幸せと言う名の地獄だった。

観賞後、身体と心が震え続けるほどの大傑作。PTAの映画は他に換えがたい衝撃をいつも私に与えてくれる。

 

 オートクチュールのファッションデザイナーが、理想の体型を持つ田舎街のウェイトレスを見初め、ミューズとして向かい入れる事から物語は始まる。

完璧で美しいドレスを作り続ける天才デザイナーと普通の生活を送っていた平凡な女性が混じり会う事でお互いを敬い尊重し合う美しい愛の物語りでもなければ、二人だけの愛の形を作り上げる芸術作品でもない。

私には、一つの類い稀な才能が、普通の愛と言う傲慢な感情によって破壊される恐怖映画だった。その恐怖に加え、才能の持ち主が壊される事を喜んで受け入れる幸せな地獄を見せつける恐ろしい映画だった。

 

主人公ウッドコックが生活の端々に自分ルールを決める事は気難しかったり融通がきかないわけではなく、仕事に集中するために必要な事なだけだ。人生の全てを美しいドレスを作る事に捧げた男にとって 、デザイン以外の事柄は全て雑事だしノイズなだけだ。

そんな男に見初められた女は、ただそれを受け入れれば良いだけなのに、なぜ自分の存在をアピールし、私を見てなどと傲慢な感情をぶつけてくるのか。

マウンティングだけなら可愛いものだが、シリアルを歯でこそぎ落とす食事を受け入れる愛なんて、どんな男にだって無理だ。がそれすらも受け入れないと普通の女性との常識ある生活は成立しない。そんな幸せならいらない、仕事と私のどちらが大事なんて口にする女をできる事なら拒否したい、それが言えず受け入れるからこそ成立するのが、常識ある生活だ。

誰からも認められる才能のある人間に、そんな常識を臆面もなく押し付けるお幸せな常識ある正しい姿の醜さを、柔らかく美しい画像で突きつけてくる。

崇高な魂や存在は、いつだって普通という理性的な俗物に破壊される。

それは、特別な事ではない。それだけで終わるのならこの映画はちょっと良いだけの映画だ。

 

この映画の凄みはこの恐怖の先にある。

ミューズであるアルマが中盤でとるある行為。それにより生死をさまよう窮地に陥るウッドコックは、朦朧とした意識の中で、失ってしまった母の亡霊を見る。

デザイナーになるきっかけになり永遠の存在である母の姿を垣間見る事で、死と直面した状態がウッドコックにとって大きな意味のある時間になる。この倒錯こそがこの映画の肝だ。

PTAがこの映画の構想のきっかけの一つは、仕事人間である監督が高熱を出した際に、普段省みる事のなかった妻がかいがいしく自分を看病する姿に、彼女は永遠に自分を病的な状態にしておきたいのではないかと感じた事だとインタビューで答えている。

愛と言う恐怖が与える慈しみと傲慢と堕落と崩壊と安心のカオス、崩れていく中で得る事ができる胎児への回帰と安堵が、単なる恐怖をそれ以上の地獄に変えていく。

 

エンディングでウッドコックにアルマが強要する将来の様子の穏やかな状態が幸せに溢れてるからこそ、地獄の恐ろしさが浮き彫りになる。

病的な状態のウッドコックは、アルマの想いを受け止め己の才よりも相手の愛を許容し共存しているように見えるが、アルマの気づかない心の奥で亡き母の存在を感じる事を本当は求めている。アルマにとって理想的な状態に見えるが、実際にはそれ以上にウッドコックの自己完結した想いが強いのだ。

お互いだけの秘密を共有し、倒錯した愛の形を得て幸せそうに見える二人の間に横たわる、絶対に超える事のできない溝。なんて美しく、醜悪で恐ろしい幸せだろう。

 

今年上半期の私のベストムービーだ。ぜひ劇場で心も体も震えて欲しい。