『メッセージ』 グレイなんて人型してるだけ、どれだけマシか?!

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不思議なテンションの映画だ。

爆発シーンは一度しかないのに、最後まで飽きず目が離せない。

予告編を観た人たちの中一部の人が地雷臭いと感じるのが納得できる、静かながらも知的な興奮に溢れた理屈エンターテイメントな映画だ。

 

異星人とのファーストコンタクトと言えば、誰もが『未知との遭遇』を思い出すだろう。あの映画にあった活劇的な展開や、何が起こるのだろうと言うミステリーは、この映画にはない。

この映画にあるのはストレートにファーストコンタクトの際に発生するだろう数々にまつわる、知的な興奮だ。

スピルバーグが描かなかった、異星人との意志の疎通のためのプロセスそのものが生む興奮だ。

数多い古典SF、例えば『星を継ぐもの』などを読んだ時に感じる、仮定ながらも完全に未知な存在を自分たちの知識と勇気を総動員して理解していく様に脳味噌を揺さぶられる快楽を、映像で構築した事がこの映画の最大の見所だ。

数学で習う数式の美しさや、証明の過程のロジックの展開の気持ちよさ、完了に至るまでの段階を楽しむ行為に似ている。

安心して良い、高校の数学で3しか取れなかった私でも理解でき楽しめるレベルの話だから。

 

頭でっかちで屁理屈をこねているだけの退屈な映画ではない。

姿形も異なり思考の基盤も共有するものがない相手との言語による交流の鳥羽口を見つけようと模索するプロセスそのものが、この映画の一番の映画的興奮のポイントで、そのプロセスを映像で示し、映画でしか体験できない形として見せる事に拘っているからこそ、スクリーンに対峙した私達は最初から最後まで目が離せない。

『コンタクト』が見せたような宇宙的規模のヴィジュアルはないし異星人の容姿に驚くような斬新さはないが、脳内に広がる世界は同じ様に豊かだ。

 

思考的、哲学的な主題を最後まで徹底して魅せながら、エンターテイメントとして成立させ楽しませてくれる映画はそれほど多くない。

異星人の話す言葉、書く言葉を読み解き、英語に翻訳していく過程をスリリングにドラマチックに展開していく物語の運びは、監督のパラノーマルな資質をよく表している。

 

重力をコントロールする状況の見せ方、カナリアとその鳴き声、発声する音声ではなく書き示す記号が意味をなすはずなのに観客には一切理解ができないただの墨で書いたよな丸でしかない事、その丸のニュアンスに意味を読み取りシステムをつかい翻訳の仕組みを組織として作って行くプロセス、意志の疎通が一部かなったと感じたからこその微妙なニュアンスが不明なことによる危機。言葉をもとに読者に想像させることでテンションを作っていく小説ならよくある物だか、映像で見せていく中でディテールでの演出、人の思考の許容のプロセスを見越した見せる事見せない事のバランスや、静的な画の中での存在感の構築など、徹頭徹尾思考小説の快楽を映画としてのエンターテイメントにまとめあげようとしている様子が美しい。

 

同時に、主人公が想起する彼女に関する物語の意味が、すこしずつ明らかになっていく描き方が、憎たらしいくらいに観客を弄んでいて心地よい。

あるポイントで、この話はもしかすると?と思わせながら安易には明らかにせず、だからこそ真の意味をことさら大仰にしないまま明確に提示されたときに感じる納得感がエモーショナルなものでなく、知的なものになり映画全体の空気とマッチしてファーストカットから流れる物語の意味を改めて考えさせられ、『あなたの物語』と名付けられた原題の意味を問いかけられる。

 

存在の異なる絶対的な他者の言語体型を理解し頭の中にそのプロトコルを生成する事で主人公が得たような事が可能になるかどうかは分からない。

が、彼女が得た力と希望は最初から映画の中に示されていて、主人公と時を共にしている観客は、少なくとも鑑賞している間はこの過程の結果とそのもたらす物に心を打たれるだろう。

思考的な映画でありながら、出来る限り大きなスクリーンで鑑賞をお薦めしたい不思議な映画だ。