『ヘビイチゴ・サナトリウム』

伊坂の『アヒルと鴨のコインロッカー』の出版で、編集者の志と作品のクオリティの高さに期待の持てた東京創元ミステリーフロンティアの一冊。
作者は詩人で、東浩紀の奥さんらしいのだが、東の語る文学批評めいた論説には一切興味が無いし、彼のウェブを読んでもどうでも良いとしか感想の抱けないものなだけに、どうでもいい事なので、その点がどうこうという事ではない。
女子高生逹を主役にして、ポール・オースターのニューヨーク三部作の『鍵のかかった部屋』をモチーフにしたミステリーだ。
解説で笠井潔が語る「自分と他人の境界のくずれ」がメインモチーフなんだろうけど、何を今更だ。言葉のみずみずしさや文章の造形の独特さは、作品として読んでいて心地良いが、自分と他人との境界のくずれなど、すでに十年以上も前から語り尽くされたどうでも良いテーマでしかない。崩れる前提の自我すら幻想でしかない事はすでに60年代から語られ続け、柄谷行人の暴いた、近代日本文学が作り上げた文学の幻想が今だに続いていると信じている事から設定された問題でしかない。
だいたいが崩れる自我なんて最初から、幻想でしかないんだ。
女子高生と言う今時風の言葉でつづられた世界が懷かしくて、ここに登場する女子高生逹に感情移入してしまいそうになるのは、古くて懷かしい感覚に裏打ちされているからでしかないわけだ。
読んでいる間は面白い、淡泊なミステリー部分も、だからこそ本格や推理小説を軽くどうでも良いものとして扱っている感覚が伝わってきて心地良い。でも作者が大切にしているモチーフ、自我と他我の境界の崩壊と依存と裏切られてしまう感覚とナイーブな感性は、とっくのとうに手あかのついたものだとしか感じられない。
で、何が言いたいの?女子高生が沢山でてきて、今風にしていればいいの?それじゃ萠え小説とは何が違うの?意味の無いディテールだけじゃん。と言う感じだ。


■選書 ヘビイチゴ・サナトリウム 東京創元社ミステリ・フロンティア
■選書 アヒルと鴨のコインロッカー 東京創元社ミステリ・フロンティア
■ 鍵のかかった部屋 白水Uブックス―海外小説の誘惑