『川の深さは』福井 晴敏

飛行機での移動中に読むつもりで本棚から引っ張りだす。再読だけれど、改めて感動。たまたま移動日の28日はオーム真理教麻原被告の判決の日だった。この本の中では、オームと地下鉄サリン事件をモデルにした新興宗教団体と事件が扱われている。何の気無しに選んだ一冊だっただけに、ちょっと驚いた。けれどそこには何の因果もないのはあたりまえだ。文庫の後書きには、その事件の裏、隠された深部を暴くみたいな事が書かれているらしいのだが、そんな些少な事がこの本の主題じゃない。あくまでも福井が取り組み続け、熱く語り続けているこの国の脆弱さ、愚かさ、などを書くための背景にすぎない。
少年、中年、女、少女、この物語に出てくる連中のなんと熱い事か。何度読んでもずんと心に響いていくる。彼らの思いや、意志に触れる度に、ああ禀とし続けていなければと思う。主人公の保の、少女を守ると言う意志こそ共感し続けて行こうと思う大切でゆずれない物だ。
ライトノベルズのような設定だとか、ガンダムウィングで使われている台詞があるだとか、オタク的なくだらない読み方しかできない馬鹿がいるようだけれど、くだらない連中だ。そんな事はこの本、この作者の大切な部分を何も語っていないし、否定もできていない。まあそんな連中はどうでも良いことだけど。第一ウィングの台詞は、こっちのパクリだろ。
作者は、自らも公言するガンダム好きだ。ほぼ同世代の俺とその心情は重なる部分がある。あの時アムロやシャアの中に感じた矜持。大人の汚らしさ。ナイーブだった自分の在処とどこへ向かって行きたいかと共感した部分は、たぶん作者と共感できる。だから彼の語ろうとする国への想いや、個人の生き方に熱く感じる事ができるのだ。時代だの世代などと言うのはいかにもかっこう悪いんだけど。
ぐちゃぐちゃとした言葉は、まあどうでも良い。ここにいる保や桃さん、涼子の熱さとやりきれなさに触れて、熱く涙を流す。それだけで満足な一冊だ。飛行機の中、ぐずぐずと涙を流していた俺の姿は、間抜けだった事は間違いない。

俺の川の深さは、どれだけだろう。質問に答えれば、腰までと答えるだろうが、本当にこれが俺の川の深さなのだろうか。肩まで、いやどっぷりと頭まで埋まるくらい、それとも踝にも届かない枯れた川になっていないか。いつまでも大きな川を持っていたい。

■単行本 『川の深さは』