「昭和歌謡大全集」

篠原哲雄監督。この監督の作品は良く知らない。主演松田龍平。「青い春」に続いて二作目。映画の中では、父親に顔つきが良く似ているなと感じる。演技の質は別物だけど。
村上龍の小説と、ストーリーはほぼ同じで、やる事のないガキと、生きている意味の無いオバサンが繰り広げる復讐劇。
生きる意味を失っていると言う意味では等価な二者が、ずれた歯車のせいで関わり合い、やがて壮絶なバトルにまで高まって行く。生きていく意味が無いと言う事では、目くそ鼻くそだ。どちらもすぐにでも死んでも誰も哀しみはしない。
昭和の歌謡が象徴するものは何なのか?進化を諦めたオバサンこそが憎むべき対象のはずなのに、復讐を誓った後のオバサン逹の活き活きした姿は何なのか?
原田芳雄が扮する武器なら何でも揃える群馬と埼玉の県境で金物屋を営むオヤジが憎しみをこめてオバサンを罵倒する姿に共感を覚えながらも、樋口可南子や鈴原砂羽なんかは、見た目からしてオバサンじゃないだろと思いながら、気楽に見るのが一番な映画だ。
青年逹もオバサン逹も何もなければ、人の話を聞く事もなく、その日の目の前にある自分の事だけにかまけて、なんとなく日々を過ごしていたはずが、復讐と言うリスキーな目的を持ち、具体的な方法を考慮した始めると同時に、人として生き始める事のおかしみがこの映画の全てだろう。オバサンと言うには違和感のあった樋口可南子が、後半すごくしっくりして見えるのはその辺りの変化のせいだろう。復讐を終えたオバサン逹の、その後一見充実したように見える生活も、実はつまらない日常でしかない哀しさまで良く描ききったと思う。仕事を辞めてチャイコフスキーのピアノの音一つ一つをリアルに感じながらも、する事はソファでのオナニーだと言う樋口可南子の切実さ。岸本加世子が充実するのは若い男とのセックスだったと言う、あまりにも狹い充実感。
小説とは違う形で役者逹が演じてみせるリアルさが、閉塞感と自分も同じガキとオバサンでしかない事を感じさせる良い映画だと思う。どうしてこういう邦画が、一切話題にならないんだろう。
それにしても、昭和歌謡ってのは、聞く程に格好良い。こんどカラオケに行ったら歌いたい。て、カラオケなんて自己満足でお手軽な自己表現の場なんて死んでも行かないけどね。
俺は進化を諦めてないか??