『邪魅の雫』

俺にとっての京極堂シリーズの魅力は、強引に要約すると「作品ごとのテーマにまつわる蘊蓄とその語り口、その二つに妖怪と言う魅惑的な存在が推理に有機的に絡み付き、美しく状況が解明されていく点」「物語の構成」「主人公をはじめとする登場人物達のキャラクター」の三つになる。もちろん文章の巧みさや、他にないオリジナルな世界観を持って登場してきた衝撃など、他にも無数に魅力がある。
姑獲鳥の夏』の衝撃を除けば、複数で複雑な構成が、「動機」と言うテーマと妖怪絡新婦と言う存在と有機的に絡み付き、状況を解きほぐす京極堂の語りが、蜘蛛の巣の全貌を露にしていくスリリングな展開を持つ『絡新婦の理』が俺にとってのベストで、構成の妙が若干弱い『鉄鼠の檻』が次点だ。『魍魎の箱』は作中にもあるとおり妖怪ではなく魍魎である点が弱く、他の作品も『絡新婦の理』を超えていないと思う。『塗り壁の宴』は、キャラクター小説的要素が強すぎて、謎のでかさや構成はシリーズ中、一二を争う面白さなのに、キャラ小説ファン向けに書いた秀作かと思ったほどだ。

5年待たされた前作の『陰摩羅鬼の瑕』は、『姑獲鳥の夏』と対を成す作品で、いつもの京極読書の快楽はあるにしても、どこか新しさを感じさせないものだった。『邪魅の雫』は読後の結論から言えば、前作と同じように、旧作『絡新婦の理』と対を成す作品だった。しかも『陰摩羅鬼の瑕』以上に、旧作を意識した構成になっている。『絡新婦の理』では、全てが一匹の女郎蜘蛛の織り成す見えない必然の縦横の糸・意図によって絡めとられ企てられていた事件だったのに対して、『邪魅の雫』では逆に意図せぬ偶然が直接的に関連しあわず、犯人の思いとは別に事件が繋がり複雑にまとまっていく。
今回のテーマ「世間、社会、世界」はそうした複数の事件の背景として存在する。構成する人との関係性の中で成立する世間は、他の世間とは似て異なるもので、一見共通に見える項目や人も意味が異なった存在としてある。作中絶対的に共通で同一の意味を持つのは雫と犯人の思いだけだ。その思いはしかし意図した事とは異なる作用を及ぼし、次々と世間を渡り歩き、有機的に世間を繋いでいく。その構造的関係性で成立する偶然の世間と、集合体の社会、その先に大きな社会を俯瞰する偶然の擬似的神の行為=犯罪と、そうした構図を明確にしていく京極の語りが、この作品のスリリングな楽しさだ。ひも解かれていく不思議、不思議を現実の出来事として定義・定置させていく語り「憑き物落とし」は、相変わらず魅惑的だ。分厚い作品の中で紡ぎ形作られた物語が、姿を定めていくことが謎解きになる快楽は、活字に身を任せるマゾ的な快楽だ。それだけで京極を読む意味はある。だから本好きは読め。
しかしこの作品も完璧ではない。不満足で喰い足りない点も多い。期待が高いためもあるが『姑獲鳥』や『鉄鼠』、『絡新婦』などを読み終えた後の、見知らぬ新しい世界や語りへの衝撃や未知が既知になった瞬間の社会と自分の関係への新しい視点の悦びが、『邪魅の雫』では薄く感じるのだ。世間、社会、世界の問題は、そこに所属する人間の認識の問題であるがため背景にある「語り」が『姑獲鳥』に近いものになり、意図なき動機は『絡新婦』の動機の話と同じに見えてしまう。もちろん新しい視点や趣向もある。旧作から登場する意外な登場人物もいる。でも、京極の魅力の大きなポイントになる蘊蓄と語り=認識と視点に既知感を感じてしまったら、読後の快楽は完全なものにはならない。コンスタントにレベルの高い物語を提供してくれる京極に不満をいっても仕方ないし、ないものねだりなのは重々承知だ。でもあのブロック本を読む以上、いつだって意表をつき、新しい悦びを提供して欲しいのだ。読者はどこまでも傲慢で良い、俺はそう思う。
もう一つの大きな不満は、邪魅が妖怪でなく魍魎だからと言うわけではないが、この作品は、京極堂シリーズで無くても成立してしまう点だ。憑き物を落とすべき対象が、意図とは異なる作用を起こし、偶然が謎を形成してしまうがため、京極堂の語りは、憑き物落としになりきれていないのだ。人との関係性に謎を再定義し意味を付与する憑き物落としが、一見成立しているようで実は今回は謎と状況の解説になってしまっている。京極堂も自覚的であるような記述もある。相変わらずの言葉の魅力は勿論あるが、語りが完全な形で腑に落ちなてこないのは残念だ。
その代わりと言えるかどうかは別だが、新しい趣向として、ある登場人物の扱いの変化がある。変化と言うか、登場人物と犯人との間にある感情を物語の大きな軸に据えた点だ。「恋愛」小説として物語が書かれているのだ。関係性の一側面=恋と言う幻想が犯人の思いのベースにあることで、謎も不思議も全て底に流れる「恋」のための物語になっている。だから一見とってつけたように見えるラストシーンが、そこはかとなく悲しいのだ。幻想を動機にした女性の恋が終わる瞬間の寂しさは、語りで憑き物が落ちる瞬間と同様の寂しさを感じさせる。その寂しさを受け止め、改善されなかった状況への寂寥を抱いてなお冷たく突き放す彼は、いつもとはまるで違う魅力をかもし出している。彼のこの行動が許容できるかどうかも、この作品の評価を分けるところだろう。俺にはものすごく魅力的だった。この点も京極堂シリーズの彼だからこそ面白さも増しているが、けっして彼でなくてもこの感情・感覚は表現できたはずだけれど。
京極堂シリーズとしては、期待が高い分を割り引いても物足りなさを感じてしまう点も多いが、いつもどおりの京極読書の快楽はきっちりと与えてくれる。一言で評価を言い切るには難しい作品だけれど、高いレベルは楽々とクリアしている物語であることに変わりはない。