「労働者M」 作・演出ケラリーノ・サンドロヴィッチ

観劇と言ってもWOWOW放映の録画。ケラのバンド時代の曲からタイトルを引用しているらしいのだが、その曲は良く知らない。冒頭にある注釈、二つの物語が平行して、入り乱れ時間軸も前後しながら進行すること・わざと台詞やシーンに欠損があること、の会話がうざったい。
「抽象画やコンテンポラリーダンスにはストーリーを求めない人が、演劇という形になった途端にストーリーを求めます。理解は演劇の大前提だからです。けれどそろそろ、分からないことを味わったり、理解するためにさまざまな感覚や思考を駆使する作業が、演劇を観る楽しさに加わってもいいですよね」(パンフレットに記載されている同意の文章)と言う番組の最後にケラリーノがインタビューで語っていたことが、この劇を見る全てで、深読みしても意味をなさない台詞や設定は、それでもナゼか深読みしたくなる構成になっている。唐突で出現する土星人などのアイテムも意味を産むようで何も産まない、けどやっぱり何か想像を刺激する。全てを観た後では、繋がらないエピソードとアイテムを何とか結びつけ意味を読みとろうとしてしまう。そこがこの劇の罠であり、主題だろう。
労働者だとか、全体主義的な近未来の設定だとか、自殺を救うマルチ商法の集団だとかの設定が、知的だと自認している人を、がんじがらめなのす迷宮に導いて行く。迷宮には出口がなく、キャストは豪華だが観客には不親切な舞台にはキーワードも答えの片鱗も無い。ヒントに見えるものこそが、実は迷宮へミスリードするアイテムだったりする。結局答えの出ないこの状況を、感覚として楽しめるかどうかが、この劇を楽しいと感じるかどうかの境目だ。
俺は楽しかった。深読みしたくなる自分、状況を感じて不可思議な心境に漂う気分は、普通の演劇では得られない。物語に縛られがちな日常から浮遊する経験もたまには良いもんだ。
体調悪かったり、心境的に落ち着いていない状態で、この劇見てたらクソミソに貶してたかもしれないけど。