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「ロープ」 NODA・MAP

演劇

野田秀樹の2006年の作品、WOWOWを録画して観た。どうしたんだろう、野田秀樹らしくない。あまりに直接的だ。限られた空間では許される暴力が、エスカレートしていき、暴力の連鎖が、暴力を産み、暴力へ恐れがさらなる暴力と暴虐を産む。それは分かる。最後の20分以上の残虐なシーンは壮絶で、宮沢りえの実況=一人語りは圧倒的だ。観るものを巻き込み熱と意思の固まりとして、強い表現だと思う。
しかし、これは野田秀樹の演劇なのか?この20分強のシーンは肉体をメディアにした表現としての演劇だったのか?ここまでストレートに単純化した表現が野田秀樹なのか?なんだか青臭い情熱的な演劇青年が初めて書いた戯曲のように感じたよ。言ってることや伝えたいことは間違っちゃいない。そんなのは当たり前だ。でもここまで捻りもなく、しかもアラブじゃなくベトナムだってきたら、正直肩すかしだと感じるよ。メディアの扱いだって、あまりにも当たり前で優等生するぎるよ。キラキラと輝くオリジナリティも驚きも無い。
奔放な想像力と創造力で、言葉の魔術と肉体の力で、観客を魅了し、予定調和を超えた奇想天外でインテリな隠喩と象徴と舞台の力で、熱い固まりを俺たちに投げつけてきたのが野田秀樹じゃないのか?俺が野田秀樹に期待するのは、そうした衝撃だ。肉体の爆弾だ。
この「ロープ」で語られる言葉や表現では、暴力の連鎖を止めることはできないだろ。「THE BEE」に続く暴力の連鎖と報復ならば、その暴力を超える言葉なり表現を俺たちに提供できるのは、演劇の神に魅入られた天才野田秀樹しかいないだろう。
別にベトナムが悪いわけじゃない。でももう少し、もう一歩、もう一枚、野田秀樹としての熟成とマジックを盛り込んで欲しかった。