『君の膵臓をたべたい』 住野 よる 本 読書メーター

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

 

「仲良し」の二人の関係が始まるあたりは、僕と彼女の言葉のやりとりにニヤニヤしていたが、後半は泣きっぱなしだった。難病ものだからとか泣くための設定だからじゃない。僕と彼女それぞれの表と内との自分の有り様へ考え方、相手への想い、僕が明確にしたくなかった人としての感情が本人の意思を超え顕になっていく様や、それをおののきながら受け入れていき認めていく決意に、10代の自分の記憶が重なって涙が溢れた。僕を変えてくれた彼女の存在と、彼女自身が感じていた事、揺れ動く弱さと強さが、さらに心を揺さぶり続けた。大切な一冊だ。

 

 

『スペードの3 』 朝井 リョウ 本 読書メーター

スペードの3 (講談社文庫)

スペードの3 (講談社文庫)

 

自意識ってやつは厄介だ。ぐるぐると頭の中で答えの出ない独りよがりな思いが渦巻いて、周りのことも自分のフィルターでしか考えられなくなる。ちょっとした妥協や寛容、自分を許すことができれば、少しは軽い気持ちになることができるのに、半世紀近く生きていても簡単には乗り越えられない。それができないからこそ人間で、日々生きることの苦しさであると同時に楽しさでもあるのだけれど。作者はこの本を通してそんな気分の私でも、心を軽くしてくれる希望を与えてくれる。決して消えることはないけれど受け入れて生きていく事の可能性を。

『壁の鹿』 黒木 渚 本 読書メーター

壁の鹿 (講談社文庫)

壁の鹿 (講談社文庫)

 

 喋る剥製という不可思議な設定とどこか懐かしい空気感の第一章から物語に引き込まれる。生きるのって難しいし面倒くさいけど、それぞれの方法と価値観で希望を見つけられるのではないかと優しい気持ちになったあたりで、突然に意外な展開へと転調していく。先程までの気持ちの延長線上だけに強烈だけれど理解や共感ができる心情と、そこまでの物語では異質な欲望が、剥製を軸に物語の核として融合していく。鑑に映るのは正だけではなく、邪もまた同じだと。そこを経て物語全体が投げかけるモノをちゃんと受け入れているか、私も剥製に聞いてみたい。

『湯を沸かすほどの熱い愛』 映画 やけどするほどの熱湯がいいです

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難病物で、母娘の絆、家族再生、泣きの要素たっぷりで、ある意味ずるい映画だけれど安いお涙頂戴映画になっていないところが魅力の作品。

 

宮沢りえのラストカットが、とても美しく、この映画はこのカットとそれを含むシーンのイメージが先にあって、そこから物語を構築していったのが、良く伝わってくる。

そのプロセスと映画の芯の強さが表れたきっちりと作り込まれたシナリオが、とても繊細で端々まで目が届いていて、観客を登場人物たちの世界に誘導していく。

いじめの解決や父の駆け落ちの相手の存在など、弱い部分の指摘も多いが、それはこの映画の伝えたい芯から見れば枝葉でしかなく、詳細でリアルな描写は逆に邪魔になる。

病院の庭で父ちゃんのとる一見間抜けな行動は、彼女がいる事を受けた人たちの精一杯の行動で、あの間抜けな真面目さが絶対に必要なのだと思う。ここの感性が合わないと、残念ながらこの映画への共感が下がってしまうだろ。

 

ただの泣かせ映画に陥っていなのは、全てがこのイメージ、世界観によるものだ。

衒いもなくタイトルに愛なんて恥ずかしい言葉を使っているのも同じことだ。

平凡な価値観を超えた愛情のあり方が、凡庸で安易な映画を嘲笑っているようにすら感じる。

 

主人公のお母ちゃんを演じる宮沢りえが素晴らしい。

彼女の存在感を通して描かれる母親の生き方が、観客の心を揺さぶる。

定番の涙を誘う設定やシュチエーションを一旦無化するようなユーモアや崩しがあった後で、彼女の思いや行動によって胸が熱くなるシーンが多い。

例えば、どうしようもなく衝撃的に石つぶてを投げつけてしまう彼女のいじましさは、彼女が生きてきた過去、いま作ろうとしている事、彼女の柔らかで脆い部分なと多数の複雑な心情を自然に伝えてくれる。

清廉潔白、倫理観や正義感が強いだけじゃなく、実際には弱く、適当な部分も持つどちらかというと緩くていい加減でか弱い部分の多いだろう普通の母親が、自分から変わらなければと決意しているんだと心の内を匂わすような絶妙な視線や間を見事に演じきっている。

 

彼女を取り巻く杉咲花など脇の子どもたちの自然な存在感もあまりに自然すぎて映画を忘れされるぐらいに素敵だ。

 

湯を沸かすほどの熱い愛。このタイトルに、込められた凡庸な愛情を否定する価値観、監督の静かながらも不敵な意思などが、高いレベルで纏められた物語を通して、心に伝わってくる。

泣きたいために映画を観る人にはお薦めしない。素敵な生き方をする女性の有り様に触れるために観てほしい。

『フリー・ファイヤー』 映画 人は這いつくばってでも生きて行く

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おそらくIRAがらみのアイルランド系ギャング団と南ア出身の武器商人率いる一団が、倉庫の中で銃撃戦する、それだけの映画。

それがやたらと面白い。映画が始まる前に監督からのメッセージで「FBIのたくさんの資料を読んだ結果、人間は銃で撃たれてもちょっとやそっとで死ぬということはない、ということがわかり、今作はそれを基に人間の往生際の悪さを描いた」と告げられる。

まさにその通りなかなか死なない連中が、グダグダと銃撃戦を続ける映画、それが『フリー・ファイヤー』だ。タランティーノの『レザボア・ドッグス』に一見似ているが、あちらがクールな銃撃戦なのに比べ、こちらはグズグズで格好悪いある意味リアルな銃撃戦だ。

 

登場人物全員が、クズで欲まみれの自己中な奴ばかり。

いわゆるプロフェッショナルを気取った男も、沈着冷静な紳士ぜんとした男も、知的で男を手玉に取ってる素敵な私の女も、誰一人感情移入ができる人物がいないという潔の良さ。

冒頭から武器取引開始までのテンションが、ちょっとづつずれていき、やがて一発の銃声が倉庫に響いた瞬間から、後は誰が生き残るのか、この銃撃戦がどうやって終わるのかだけのストーリーになる。この一発のきっかけもなんとも碌でなしなくせに、妙な説得力をもってそりゃ撃つよな、あつ撃っちゃったよこいつと思わせる、そこまでの緊張感の演出が巧みだ。

 

その後の銃撃戦がまたグズグズで、両足で立っている奴が一人もいない。ほぼ全員が地べたに転がっているか、物影で中腰でいる奴も体のどこかに銃弾を受けていて颯爽としていない。

ここまでクールじゃない銃撃戦は見たことがない。

一般的に銃撃アクションといって思い出す銃撃シーンとは真逆の格好悪さだ。これがなんとも痛快だから不思議だ。爽快ガンアクションではないが、会話の愚図さもあわせ監督のメッセージ通りの往生際の悪さが痛快なガンアクションだ。

単純な銃撃戦の合間に想定外の出来事が起こり、最後まで飽きさせない。気がつけばあっという間の90分で、鑑賞後は愚図連中の自業自得のあまりもの馬鹿馬鹿しさに、爽快な気分になれる。

 

監督たち製作陣は、銃撃戦をリアルなものにするために、マインクラフトを使って舞台の立体モデルを作り、10分単位づつで登場人物の位置関係を把握し、銃線や行動に矛盾がないようにストーリーボードを1,000枚以上書いたと言う。この銃撃戦にそこまで細かな計算をしていることに脱帽だ。大嘘つくには、これくらいの綿密さが必要なんだな。

ラストカットで、そりゃそうなるよな残念でしたと思わせるのが、これまた嬉しい爽快さだ。

いやーよくもこんな映画撮ったもんだ。できればスクリーンで観ることをお薦めする。

『人生タクシー』 映画 おしゃまでお喋りなチャドルのイラン女子小学生に癒される

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イランで6年の自宅軟禁、20年の映画製作を禁止されている監督ジャファル・パナヒ氏がゲリラ的に撮影したドキュ・フィクション映画。

日本からでは想像しづらいイランの日常生活の様子を通して、創造することの不自由で歪な環境を告発していく。

声高にではなく、車内に流れるのはどこか牧歌的でのほほんとした空気を通してなので、どこまでもユーモーラスで穏やかな印象の映画だ。

 

何よりも20年の間映画製作を禁じられるということは、ほぼ一生映画を撮るなということで、監督としての死を宣言されているに等しい。

それに負けず、海外の映画賞にまで応募する監督の強い意志と、この映画の中での表情とのギャップに驚く。静かに微笑む監督の顔からはその情熱や強さは想像しづらい。

 

タクシーに乗り込む人たちの状況は様々だ、車上狙いの強盗、女教師、海賊版DVDを違法にレンタルする小人、交通事故の被害者、金魚を抱えた迷信深い姉妹、姪、社会派美人女弁護士。それぞれが人生の片鱗を滲ませる会話をして降りていく。

その合間で、イランの社会の現実が語られ、緩やかが厳しい監視社会、政府の強硬な独裁的な政治が堅牢に存在することが伝わってくる。女性の扱いが低く、兄弟間でもしっかりとした遺言がないと財産を親族に身ぐるみ剥がされ、洋画や洋楽は違法で、バスケットボールを観戦に行く時でさえ政府から言いがかりのように拘束されることがある社会だ。

 

おしゃまでおしゃべりな姪っ子の明るさが、この映画を軽やかで明るい雰囲気を作ってくれるが、その姪でさえ社会の"ルール"が自然に刷り込まれていることがわかるシーンには静かに衝撃を受けた。悪いことをしているから怒るのではなく、撮っている動画が検閲の対象になって公開できなくなることに怒る彼女は、とても自然に社会の価値観で状況を把握している。

 

別にイランだけが特殊な環境ではない。観客という異邦人にわかる形で監督が提示しているのは、どの国にいても同じような状況で子供も大人も生きているのではという問いかけだ。あたりを見回せば、確かにここでももそこでも、自分を含む人々が正しいと思っている価値観で自然に振舞っている。何が「正しい」かの答えは知らないが、そら恐ろしいのは当たり前だと思っている人の生き方だ。

 

てことを考えさせる内容だけれど、けっして堅苦しい映画ではない、ずっとタクシー内で話は進み、ところどころでユーモラスな出来事やアクシデントがおこりクスリとさせられる、暢気な空気のある作品だ。

 

数十年前、展示会の仕事でイランに2週間ほど滞在したことがあるが、会場とホテル、レストランとの往復で、街中には数回しか出なかった。公園で男性同士が仲良く時間を過ごしているのが印象的だった。

イスラム圏特有の女性の衣装チャドルやヒジャブの下には、ジーパンや派手なシャツを着ていて、舞台裏の外国人しかいない場所では、若い女性達がチャドルを脱いでくつろいでいたのが印象的だった。

しょせん短期間の滞在者には見えない社会の体制や監視や拘束がああした社会に存在していたのかと、改めて考えさせられた。

 

蛇足:蛇足の短編について。新宿武蔵野館だけなのかどうかは知らないが、本編の前に2本日本の監督によるこの映画をリスペクトしたらしいショートムービーが上映される。これが酷く、不愉快だった。

1本はドキュメント映画監督の映画か映像かという中身のないものだ。監視官の口から唐突に教育勅語なんて単語が飛び出す、左巻きの思考停止な価値観が丸出しで、パナヒ監督やこの映画を本当に見たのかと問い詰めたくなる。人の映画を口実にせずに自分の映画だけにして欲しい。

もう1本は、内容もないし、映画の製作を禁止されたらそれでも撮りたいのは自分の息子の様子だという、そんなものしか撮りたいと思えないなら、映画監督なんて止めてしまえという中身のない、ついでに思考もないくずだ。

誰が企画したかわからないが、『人生タクシー』のためにぜひ速攻で同時上映を止めていただきたい。

『無限の住人』 映画 やっぱり三池崇史監督はやればできる漢だよ

 

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原作は未読だ。だから役柄の再現の質に興味はないし、改悪なのかどうかはわからない。

この映画は一本の映画として、最高の壮絶娯楽時代劇だった。

 

痛みを感じるが不死身の主人公。超絶な技能を持ちながらも狂気にとりつかれた優男な武士。親の仇を討とうとする少女。異彩な野武士たち。

彼らが、縦横無尽に斬って斬って斬りまくる。チャンバラの興奮がここにある。

小姑のような時代考証(本物見たことあるのか?)なんて忘れろ。

観賞後もしばらく興奮が冷めなかった。

 

木村拓哉が抜群に良い。

四十過ぎた男の顔だ。野犬の目、薄汚れ血まみれの顔で見せる存在感、死ぬことも忘れることもできない男の立ち姿、今日本でここまで見せることができる役者は少ない。

小栗旬じゃなくて良かった。(銀魂はまた別の話だ)

キムタクはキムタクしかできないと言われるが、この映画ではしっかりと万次を演じきっていた。

TVドラマの延長のようなセリフのいくつかは興ざめだったが、普通にぼそぼそとしゃべる姿には痺れた。

原作の主人公に似ているかどうかなんて関係ない。ものまねショーじゃないんだし。

過去を捨てられず、世を倦んで無限の生を生き続けざるをえない男の姿として完璧だ。多生の縁で巡り合った妹に似た少女を見捨てることができない性根の優しさと、伝法で無頼な口調に隠された熱、死ねない絶望とそれでもどこかで終わらせることを求めてしまっている弱さ、諸々をあわせもった主人公が、映画の中のリアルな存在としてそこに生きている。その様を見ているだけでも一見の価値はある。

こう書きながらも、キムタクは役者としては好きではなかった。本人の意向なのか周囲の方針なのか、鼻に付く生粋な野郎役ばかりで、退屈だった。随分前のTVドラマ『ギフト』だけは、その生意気さ加減もストーリーにシンクロしていて良かったが、それくらいだ。

しかし、この作品では役者としての凄みが段違いに違う。

目、顔、表情。この映画の木村拓哉からは、万次を演じる意気込みと諸事の諸々を乗り越えた漢の匂いが強く伝わってくる。こりゃ惚れるよ。

 

一つ前の『ZIPANG』の記事に書いた仕込み刀が次から次へと繰り出され、普通の時代劇とは一味違う殺陣が、観ていて気持ちよい。

痛快じゃなく、痛み感じ血を流しながら闘っている殺陣の圧倒的な映画的リアリティから目が離せなくなる。

血の川の噎せ返るような血の香りを感じさせるラストの1対300の大立ち回りは、万次だけではなく他の二人が加わり、上下左右前後ろと交差しがら空間を縦横無尽に活用して展開される壮絶なものだ。最後の最後まで息をつめ見つめ続けることしかできず、身体中の血が湧きあがった。

壮絶娯楽時代劇の凄みに心を鷲掴みにされた、幸せな時間を過ごすことができた。

 

原作にこだわらず、キムタクだからなんて色眼鏡は捨て、この興奮を体験して欲しい。

キムタクの映画じゃなく、三池の映画『無限の住人』の中の万次の木村拓哉だから。

映画館で観て良かった。

帰り道、まるで小学生のように主人公になりきって歩いている自分に気がついて苦笑いしたのは秘密だ。

ついでに、戸田恵梨香の太股に密かに欲情したのも内緒だ。