『大聖堂』 上/中/下  ケン・フォレット 本 読書メーター

大聖堂 (上) (ソフトバンク文庫)

大聖堂 (上) (ソフトバンク文庫)

 

大聖堂の建立をコアにした、欲望や思惑に奔放する人々の大河小説。上巻だけでどこまで広げるかとページをめくる毎に興味が深まっていく。こういった大河ゴシックロマンも面白いな。ある意味物語の王道でもある。

 

 

大聖堂 (中) (ソフトバンク文庫)

大聖堂 (中) (ソフトバンク文庫)

 

中世イングランドの世界が目の前に広がるかのように、登場人物たちが活き活きと物語を紡いでいく。勧善懲悪の単純な物ではないそれぞれの欲望が悲劇を産み、同時に希望も産んでいく。欲望と対極にあるはずの大聖堂そのものが、すべての欲の中心となっていることに痺れる。後半に描写されるジャックとアリエナの交接が、あまりにも生々しく、同時にあまりにもピュアな恋で、あまりにもストーレートな欲望で、読んでいて照れくさいと 感じながらも欲情した。交接と恋がこんなにも素直に両立した言葉になるとは。怒濤の物語の行く末から目が離せない。

 

 

大聖堂 (下) (ソフトバンク文庫)

大聖堂 (下) (ソフトバンク文庫)

 

 遂にキングズブリッジに大聖堂が完成した。繊細で優雅で堂々たるその姿を想像するだけでも感無量になる。同時にフィリップが最後に行わざる得なかった行為のなんと皮肉な事。聖なるために邪な行為を選択するしか道のなかった彼を思うと胸が熱くなる。人は理想のためには理想を捨てなければならない。このアイロニカルな真実を突きつけながらも、目の前に存在する巨大な大聖堂。そこにある荘厳な姿は、多数の様々な人々の欲望と理想の清濁全てを覆い隠した上での聖なる顔だ。神的なものだけてなく畏怖を感じずにはいられない。

『八月の犬は二度吠える』 鴻上 尚史 本 読書メーター

八月の犬は二度吠える (講談社文庫)

八月の犬は二度吠える (講談社文庫)

 

暑苦しいほど濃密な仲間なんていなかった。片田舎の街で、東京に憧れて地元を心底恨んでる奴は浮いていた。だから主人公の気持ちがわかると同時におめーは恵まれてるんだよと思いながら読みきった。10代の後半、二十歳になる直前の馬鹿馬鹿しさを共有できる「アイツ」のいない私には二度めの犬焼きにかける情熱は、共感できるものではなかったが、グダグダと自分が何かを作る側だと無根拠に信じながらも、何も形にできない苦しみや自意識はまるで自分自身かのようで共振した。今あの瞬間に戻ったら、次は彼らのような友情をものにできるだろうか?

『慈しむ男』  荒井 曜 本 読書メーター

事件カメラマン天羽眞理子 慈しむ男 (角川文庫)

事件カメラマン天羽眞理子 慈しむ男 (角川文庫)

 

今時のコインロッカーベイビーは、コウノトリポストから産まれた。赤ちゃんのぺニスを咥え薄荷煙草みたいだと感じた母親は、無抵抗な存在に嗜虐的な行為を行う存在になっていた。望まれず産まれた存在が、祝祭で日常を無秩序に陥れ破壊しようとする物語は、嫌いじゃない。むしろ共感を抱く。冒頭の東京タワー破壊には度肝を抜かれ、落ちてくる子供の残酷な美しさには震えたが、私の中の破滅への意志が共振できなかった。過剰と蕩尽の本質があと一歩突き抜けてこなかった。小説賞の大賞で受賞作らしい野心と荒削りな力に溢れた作品だ。

『哭声/コクソン』 映画 信じぬ者は救われぬ

f:id:zero0:20180310193258j:plain

www.youtube.com

映画の興奮に満ちた映画だ。

ジャンルは関係ない。

ここで描かれる残虐なシーンや血みどろなカットの興奮はもちろんだが、核にある人の醜さとそれに対応したかのような物語の展開が、鑑賞中、鑑賞後も興奮を持続させる。

鑑賞した人たちが、語りたくなるのも良くわかる。

 

この映画の一番の魅力は、不気味な謎の日本人を演じた國村隼に尽きる。

彼がスクリーンに出てくるだけで空気が変わる。その上で白褌で、鹿のナマ肉を四つ足で喰らうなど、次々と強烈な役を演じきっている。

彼を観るだけでも充分に鑑賞の価値がある。

その上で、映画から感じ語りたくなるようなマジックに満ちた映画だ。

観て、感じて、語って欲しい。

 

 

韓国の山奥にある田舎町で起こった猟奇事件から幕が開き、住民と交流しない不可解な日本人と連続する事件の関係について主人公や住民たちが疑心暗鬼になって行く。

映画評論家の町山智浩によく似た主人公と周囲の人々が、疑心暗鬼に落ちていく過程が丁寧に描かれる。韓国、しかもど田舎の寂れた町にふらりと現れた得体不明の日本人という、それだけでも住民が騒つき悪意をぶつけるだろう存在が、愚かな小市民たちを静かに狂気に導いていく。監督の底意地の悪さが現れた設定だと思う。中国人か日本人を最初から考えていたという。狙い通りだ。

 

明確な説明をつけない突き放したエンディングが、心地よい理解や共感を生まないために、鑑賞後誰もが、映画の中で起こった出来事や登場人物の真意、真実を語りたくなる。

観た人ごとに解釈が異なり、それぞれが意味付けをしたくなる時点で監督の勝ちだ。

 

猟奇殺人の原因は、所々で描かれる毒性の高いきのこを使用した健康食品による精神と身体の変化と崩壊から起こった殺人だ。

國村隼も、白衣の女性も、祈祷師もその原因ではないことは、明確ではないが、きっちりと伝えられている。

何より映画冒頭で語られる聖書の一節が全てを説明している。

霊だと思っている人には、キリストですら人には見えず疑いを抱くのだ。

真相ではなく、自分が信じたいと思っている悪意、悪霊の存在が真相だと信じてしまう事の醜さがこの映画の投げかけるものだ。

真相だと信じる解釈を語る観客達の姿は、自ら信じるものに取り込まれた主人公達と同じものだ。

それこそ、監督がこの映画に仕掛けたものだ。

醜く愚かな人の姿をスクリーンの上だけでなく、観客も巻き込んで感じさせる。

底意地の悪い、映画ならではの面白さだ。

 

國村隼も、祈祷師も、白衣の女性も、さらに家族すら信じられなくなって酷い行為を行う主人公の悲劇は、自業自得だ。彼は最初から最後まで誰も信じ抜く事はなかった。ただ感情のみで犬を殺し、日本人を集団で襲い、仕事を放棄し、祈祷師の儀式をぶち壊し、白衣の女性に禁止された行為を行う。

救われる要素が一つもない彼に、感情移入したり共感する事は一切ない。一見主人公として最悪だが、映画の意図とはぴったりと一致している。

信じない、信じられない、思い込みだけで行動する人間の象徴そのものだ。

最後に彼に訪れる事は、そのまま人に訪れるものなのだろう。

 

こんなに愚かな人の姿を描く事ができる映画という娯楽は、なんて強烈なものだろう。

こんな凄みに溢れた作品を産み出せる韓国の環境を羨ましく思う。

恋だの青春だの一義的な安易な事しか金にできず、キラキラ映画に溢れた邦画の悲劇が悲しい。

 

【蛇足】

この映画を、キリスト教的な視点で解釈したり、韓国でのキリスト教のあり方から解釈している評をいくつか読んだが、どうにも気に入らない。

特に、國村隼はキリストで、祈祷師はユダだとか、登場人物それぞれをキリスト教の主要な人物にあてはめて解釈している内容には悲しくなった。

それがどうした?

韓国のキリスト教について語るなら統一教会を始めとする「韓国キリスト教」の歪みを語らない限り意味のない知ったかぶりの言説だ。

綺麗に解釈しているつもりだろうが、映画の面白さを一切深めていない。

町山智浩も時にそうなるが、いやそういう事が多いが、あれはこういう意味なんですよ、こんな暗喩なんですよと、「深い」教養から解釈や意味を語る事はあるが、その先=映画の面白さや観客に映画の喜びをを伝える事がない解釈はただの自慰行為以外の何物でもない。

俺って偉いでしょ、賢いでしょ、って顔つきが気に食わない。

その暗喩や解釈が、その映画の何を担っていて、だからこの映画はこういう面白さに溢れているんだって明確に語れない解釈は、百害あって一利もない。

昔から蓮見が大嫌いな理由は、それだ。映画批評で価値があると思えるものは少ない。

てめえの高い意識や教養での解釈が、自己満足以外の喜びを与えているか、心の底から考え直して欲しい。

個人的な好きだった嫌いだ、面白かった退屈だったって感想の方が読み応えがあるし、読んでいて意味を感じる。

 

この話は改めて別な記事として書きたいと思う。

 

『新橋アンダーグラウンド』 本橋信宏 本 読書メーター

新橋アンダーグラウンド

新橋アンダーグラウンド

 

 新橋は通勤で毎日のように使っている。歩く度に猥雑だなと思いながら、妙に愛着も感じていた。この本を読んで更に街への気持ちが深くなった。サラリーマンだけでなくあらゆる階層の人たちが、それぞれの理由と作法で集まっても違和感のない懐の深い場所なんだな。綺麗で合理的なだけの街にはない、魅力がここにはあるし、そこを通る過ぎている/いった人たちの生々しい姿が刺激的だ。計画的に造られた建前だけの新興都市では絶対に味わえない。人は根っから猥雑なのだと都市に教わる。それにしても映画会社東活の事は一切知らなかった。不覚だ。

『少女ノイズ 』 三雲 岳斗 本 読書メーター

少女ノイズ (光文社文庫)

少女ノイズ (光文社文庫)

 

 狡い小説だ。頭脳明晰、容姿端麗でツンデレでエキセントリックな行動をするけれど本質は純粋無垢。そんな女子との出会いと恋の物語なんて、男子の妄想でしかない。それなのに読書中、こんな都合の良い美少女あり得ないだろとシニカルになっているつもりが、いつの間にか主人公にシンクロして自分も恋に落ち、彼女から受け入れられている。ジャンル読みだけが読書の在り方ではない。魅力的で愛しい登場人物たちと共に過ごし、彼らの抱いた感情を自分のモノとして受け止める。そんな繊細で自分勝手で厨二的な楽しみかたもあるなと感じた一冊だ。

『鯨の王』  藤崎 慎吾 本 読書メーター

鯨の王 (文春文庫)

鯨の王 (文春文庫)

 

 深海は浪漫だ。地上なら10分程度歩けば到着する距離が、海の深さに変わるだけで人の住む世界から遠く離れたモノになる。何が存在するの未明の暗黒の世界を想像するだけでも身が震える。そんな世界を舞台に新種の巨大鯨と人間が対峙する物語が、退屈になるわけがない。潜水艦での謎の事故から始まり、深海の恐怖と浪漫、鯨に魅せられた人の有り様、巨大鯨と人の対決が、縦横無尽に絡み合って興奮のうちにクライマックスを迎える。光届かぬ暗黒の中、隊列を組む巨大鯨と最新鋭潜水艦が闘志を剥き出しに向き合う姿が、男の子心を擽らない訳がない。