「 ずうのめ人形」 本 澤村伊智 読書メーター

 

ずうのめ人形

ずうのめ人形

 

 一つの小さな都市伝説を巡る、ミステリーホラー。小説・映画「リング」で描かれた、感染し拡大していく恐怖の構造を、論理(すこし屁理屈?)的に解釈しつつ、恐怖をつくる人、ひとの想いの恐怖を描いていく。正直、怖さはあまり感じなかったが、謎解きをしていく過程と、恐怖の根源が明らかになっていく描写は、ほどよいスピード感と牽引力のある文章で、最後まで目が離せなかった。作者のホラーへの強い愛情と過去の体験が伝わってくる良作。

「足跡姫」 舞台 NODA MAP 例えその身は滅んでも


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池袋芸術劇場。

前回の「逆鱗」とは異なり、往年の多層な解釈と大仕掛けなドンデンの展開ではなく、ある意味ストレートな舞台だった。

 

亡くなってしまった勘三郎へのオマージュと言うだけあって、彼への想いや歌舞伎、演じる事への野田秀樹ならではの想いをストレートに、隠喩的に、多義的にまとめ上げた内容だった。

 

ラストシーンの桜の美しさ。その中で妻夫木聡演じる歌舞伎作者のさるわかが語る舞台と役者の在り方に胸が熱くなった。

あえての女歌舞伎が、出雲のお国と足跡姫の行く末から二度と陽のあたる場所に登場できなくなる代わりに、女形の歌舞伎へと繋がっていく。

幕が降りれば虚構の舞台での出来事はリセットされ、明日へ続いていく。

たとえ今は消え去っても江戸の時代からいまこの場所へと役者の想いは代を重ねて連なっていく。

そんな叫び、に心が震えないわけがない。

 「肉体を使う芸術。残ることのない形態の芸術」の辛さを勘三郎への弔事で読んだ三津五郎の言葉へ応える野田秀樹の姿勢や姿が、強く印象に残る。

 

野田秀樹勘三郎を失ってしまった事の悔しさとそれを乗り越えるための決意が、衒いもなく繰り広げられていく舞台を他の観客たちと共有できた事が嬉しい。

 

カーテンコールの最後、野田秀樹独りが舞台に残り、センターに正座しお礼のお辞儀をする姿に、歌舞伎の口上に繋がる役者の姿が重なり、涙が流れた。

「ラ・ラ・ランド」 映画 ♪そうだったら良いのにな〜♪

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嫌いじゃないし、主人公たちの切なさと希望は胸に響いたけど、どこかノリきれない。

でも、不思議でチャーミングな映画だった。

 

同じ監督なら、「狂気」に取り憑かれた男二人の対峙を描いた「セッション」の方が好きだ。対して、この映画はハリウッドでの成功する夢=「狂気(マイルドな)」を持った男女の恋の話で、監督自信の願望とこうだったら良かったのにて心情をロマンチックな衣装に包んだ映画だと思う。

 

冒頭、いきなりのダンスシーンの長回しワンカット(実際には3カットらしい)に圧倒される。ダンスそのものには残念ながらノレなかった。フラッシュモブの延長くらいで、色使いがベネトンみたいだと感じたから。

LAに暮らす誰もが、辛い目を我慢しながらも頂きを目指す夢に溢れてる、て踊りなんだろうけど、夢を抱く人たちって大事な部分がわからないままモブダンスされても、あー遠くの方まで人が車に乗って踊ってるのね壮大なダンスだねくらいの感想になってしまう。

嫌いなわけじゃないけどね。

この後エマ・ストーンルームシェアしてる女優志望の女の子たちのダンスはわくわくした。踊りだしたくなる気持ちが伝わるから。このシーンの室外へ彼女たちが移動する際の超絶カメラワークにも驚かされるし。

 

最初にも書いたが、この映画はハリウッドでの成功の夢=狂気(マイルドな)を抱えた男女が、出会い恋に落ち、その後を歩む姿を描きながら、監督のこうだったら良かったって心情、成功を収めた今抱えている想いに区切りをつけるために創られた作品なんだと思う。

その想いが、ハリウッドの映画関係者の琴線に触れたからこその評価の高さなんだろうし、俳優やミュージシャンではなくても取り憑かれた夢の実現の過程で破局した恋の思い出や後悔の気持ちを持つ人には、ロマンチックでセンチメンタルな物語として心響いたんだろうと思う。

 

俺自身は、孤独や挫折を繰り返しても目指した夢をいつの間にか忘れてしまい妥協と愛嬌だけで歳を重ねてしまったので、セブやミアが抱える孤独と破局には、ただ観客として、実感ではなく頭で理解したものとして、後悔と憧れに胸が張り裂けそうになった。

 

セブがソロでビアノを引き始めると同時に始まる、もしかしたら実現したかもしれない二人の世界、ダンスシーンには胸が熱くなり、涙が止まらなかった。

夢の実現、成功と派生する幸せを手に入れた二人が、代わりに失ってしまい二度と手に入らない二人で作れただろう幸せ、軽やかなステップや華やかな色彩に彩られた幸せを想いながらも、現実の幸せに戻っていく。

男が笑顔で送り出し、女が笑顔で応える。それを見届けた男が、新しい曲のカウントを寂しげに数える。

なんて、切なくてロマンチックでセンチメンタルなハッピーエンドだろう。こんな恋が思い出としてあったとしたら、その人生は幸せだ。監督が求めてフイルムに残したかったのは、こうした幸せだったんだろうな。

ノレなかったダンスも多かったが、このエンディングには、深く心を揺さぶられた。

だから、俺には、嫌いにはなれない素敵な映画だ。

 

とか言いながらも、なにより素敵なのはミアを演じたエマ・ストーンのキュートさだ。

セブがへなちょこロックバンドのキーボードとして、どこかのパーティーの余興に参加している所に、アイ・ランをリクエストした後、セブンをからかいながらの表情や動作に恋に落ちない男はいないだろう。

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いわゆる美人ではないが、映画の中でのチャーミングさはとてつもなく可愛い。。

それが伝わらない奴とは映画を語り合えない。

恋に落ちてしまいそうなヒロインを観られる幸せ、それだけでこの映画を観る価値はある。

 

切なくて哀しいハッピーエンド。

日本中の誰もが手放しで喜べる映画じゃないと思うけど、自分自身の選択で、失ってしまって何かを心に残す人には、他に替えがたいセンチメンタルな気分にさせてくれる良作だ。

「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち/第一章 嚆矢篇」 映画 二度もだぞ〜!!


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本予告60秒

 

「無限に広がる大宇宙…」

オープニングのナレーションから、一瞬でハートと視線を鷲掴みされ、あっと言う間の45分だった。

冒頭12分。

 

ガンダム オリジン」とは違い、のっけから全部盛りでガンガン詰め込んでくる。

冷静に鑑賞なんてできないし、鑑賞後もグツグツと胸熱で感想やらレビューは書けそうにない。

 

 

どうやっても、ネタバレしか書けない。

こっから先は全部ネタバレになるから、未見の人はくれぐれも注意してください。

 

あと、感想どころか、人に読ませるものにもなってないのは自覚してるので、勘弁。

数十年前、「さらば〜」を映画館で鑑賞した後の翌日の学校の教室で、皆でガヤガヤ話してたのと同じように、単純に喜びと興奮をぶつけたいだけだから。

 

 

 

やっぱりパイプオルガン。しかも新アレンジでさらに悲壮と絶望増してるし。

愛を語るのはズォーダーかよ。

ガミラスのゼ級艦、装飾凝りすぎ。

ここで、もう巨大戦艦。

絶望感、さらばの比じゃない。

今回は、アンドロメダ大活躍。

古代、君は三倍速いシャアなのか?!

暴走巨大戦艦、ユニコーンじゃないんだから。

まさかの逆襲のシャア!!

真田さん!!

ヤマトの勇姿、そして空中での巨大爆発。ヤマトだよ、これが!!

胸熱!!

「さらば〜」もそうだったけど、雪と古代が出逢うところはそこだけで条件反射で泣ける。

「俺は、地球を救ったぞ!」叫べ!

雪のキャラクターの現代化が一番嬉しいです。

沖田艦長の三回忌、花の位置までオリジナルに忠実じゃん。館長のイントネーションと敬礼は新しいけど。

銅像が街を望む遠景のカット、リスペクトしまくり。

真田さんの持ってる本、文教堂でお買上げ?

アンドロメダ級五艦もあんのかよ。

救った地球が、腐敗して、クルー達が対立していく様はどちらも変わらずか。

コスモタイガーのCGパース、金田パース!!

しかも新機はマクロス

テレサ、君は相変わらず美しい。まだ全身見えないけど、身体が極薄なのは変わらないね。

なぜか、ガトランティスのテレザード襲撃カットの使い回し。

 湖川さん、原画書いてる!

 

そして、ジュリー!!

しかもオリジナル!!

ギターが泣かせる!!

音キレイすぎ。

だめだ、口ずさみながら、嬉しくてにやけながら涙が流れる。

誰もエンドロールで席を立たない。

 

圧倒されたよ。

 

この興奮は、誰かに理解されなくてもしょうがない。でもヤマトってこうなんだよ。これだよ。

 

「 出版禁止」 本 長江俊和 読書メーター

出版禁止 (新潮文庫)

出版禁止 (新潮文庫)

 

出版禁止になってしまったある心中の真相を追ったルポルタージュ。そこに書かれていた心中の真相らしきもの。隠されていた猟奇的な出来事を暴く著者の謎解き。ここまでが活字で表に書かれている事。その裏に隠れているもう一つの真相。これに気付けるかどうかで感想がまるで変わってしまう。著者の創ったテレビ番組「放送禁止」と同じように見えて、もう一層隠れた真相がある分だけ小説の方がさらに面白く仕上がっている。正解がどこにもないためもやっとした気分は残るが、隠れている復讐の物語が見えた瞬間の心地よさは、他に類を見ない面白さだ。

 

追記:「セカイ」の意味が解けない。誰か教えてくれないかな。

「アイ アム ア ヒーロー」 映画 襲う阿呆に、撃つ阿呆

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 死者を火葬で葬り、神による許しを持つ宗教に根付いた死生観や幸福観を信条の一部としていない日本人には、ゾンビは難しい。

根源の怖さが、肌感として実感できないから。

と思ってたが、ゲーム「バイオハザード」や「ウォーキング・デッド」を経た今、ショッキングホラーや、シュチエーションホラー、人間の怖さみたいな事に焦点をあてれば、ゾンビモノも日本人にとって、十分に怖いモノになるなとは思っている。

 

では、この映画が怖いかと言われれば、気色悪くて不気味だったりはするが、本質的に怖い作品ってわけではなかった。

不満はあるけれど昨日まで同棲してたカノジョが、醜い姿に変身し不気味な動きで迫ってきたら、哀しい怖さは感じるが、心底震える根源的な怖さはそこにはない。

 

ウイルスに侵され、ZQNになった人々から襲われ続ける事は、パニックとしては怖いけれど、観ているこちらにとって存在を揺すぶるような恐怖かと言えば、それとは違うアトラクション的な怖さだ。

ゾンビ映画の定番ショッピングセンターでのお約束、生身の人間の怖さも、あくまでもお約束的だ。

 

恐怖の質や種類はさておき、ゾンビ映画としてのこの映画の魅力であり一番の観どころは、間違いなくショッピングセンターでの主人公英雄の活躍だ。

 100体を超えるZQN対たった独りの主人公と言う図式の中で、常識にがんじがらめに縛られていた平々凡々でつまらないへなちょこの男が、クレー射撃のライフルを持って孤高に闘い抜く。

今までどんな映画でも観た事のなかった、ヒーローらしい銃撃戦だった。ここで次々と撃たれるために対象をゾンビにしたんだろと疑いたくなるぐらいに、清々しいほどの大殺戮だ。

 

全てのZQNを倒しきって、守るべき女性たちを振り返る主人公英雄の立ち姿は、まさに英雄ヒーローだ。

このワンカットのために、この映画は創られたと言っても過言じゃない。

大泉洋の演技も存在感も、まさしくここでの存在感のためだとも思えた。

さえない男が、自らの冴えなさを自覚し、カノジョが変容してもリアルな対応ができず、異質な相手を排除する勇気も見いだせず、ギリギリまで常識に縛られて、現実から逃げていたつまらない普通の男が、二枚目としてでなくカッコつけでもない、どうしようもない想いから引き金を引く瞬間とその後の壮絶な決意と行動を、言葉でなく演技で見せつけた大泉洋の役者としての力と存在感は、世界基準の凄さだ。

このワンシーンを観るためだけでも、この映画を観る価値がある。

 

今週原作の週刊スピリッツの連載が最終回を迎えた。数年に渡って連載された原作と2時間あまりの映画が同じ展開を描く事ができないのは、当たり前のことだが、最終回、最後の見開きで描かれた英雄の姿は、違うシュチエーションにいるとしても、同じ現実に地続きな冴えないがリアルな俺達の代表としてのヒーローの姿としては、同質なモノだと感じた。

格好悪いし生々しい欲まみれでへなちょこだけど誰でもないヒーロー、ザビエル禿の癖に独りサバイブしていくヒーローとして、平凡な私達の胸を熱くする。

格好の悪い勇姿。このヒーロー像が、ブレることなく描かれ抜いた事、邦画ながらも中途半端な恋だの正義だのの話に陥らなかった事、その奇跡だけでも高く評価したい。

 

なにはさておき、ラストの銃撃戦の壮絶な展開を堪能してほしい。

 

 

 

 

「ユージニア」 本 恩田 陸 読書メーター

ユージニア (角川文庫)

ユージニア (角川文庫)

 

「わたしのユージニア」発さられたこの言葉。込められた意味、読み取った意思、おきた出来事、刻まれたリグレット、取り残された罪‥それぞれが哀しい。物語のための分かりやすい動機や犯人を排し、主観だけが幾重に折り重なり、折り紙のように一つの形を作る。読者の印象すら主観の一つで、遠目には姿わかるが、世界に接している人間には己が感じている事からしか物事が見えない。私の読後感が、他者のそれと重なることはないが、乖離したものでもない。繊細で壊れやすい物のようでいて、美しく強く組み立てられたこの作品は、静かだが恐ろしい。