「スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ」

惜しい。志や良し。
でも中途半端なんだよな。映画的素養なんて関係ない。破壊のパワーと映画の情熱と勢いは、三池監督らしい。観ていても熱いよ。
でもストーリーが、これっぽちも生きてない。敵対する二大勢力、流れ者、訳ありの女と老女。定番だろうが、ドラマの構築ってものがあるだろ。平家と源は子供の対立じゃないはずだ。命張った対立の緊張感がまるで感じられない。だらだらと適当に偉そうに街にいる流浪人の集団が二つなだけだ。「用心棒」の二つの勢力はちゃんと街に影響力をもって寄生して君臨していたし、「荒野の用心棒」の二組は、街そのものだった。平家も源も街とまるで関係なくただいるだけじゃ、なんのために流れ者が二組を破滅させるのかさっぱり理解できない。
設定も役者も予算も、志もそして北島三郎も熱い映画なんだ。映画を観に行くってことがイベントになる、久々の邦画なんだから、これでクオリティの高い物語構成だったら完璧だったのに。別に哲学も教義も入らない。熱く映画に引き込まれる物語が欲しかった。
そのダメさが一番強かったのが、最後の対決だ。頼朝との一騎打ちは、素敵だ。この映画の中でも一番の見所だ。心から痺れた。やっぱり秘密兵器だよ。でも、ここが良いだけにその直前の名無しと平家・源+BB桃井の対決は、位置関係も時間進行もまったく理解しずらい。何故名無しは走る?どこに頼朝はいる?二組の集団と主人公との位置関係は、誰が誰を追い込んでいる?なんの計算もされていない位置関係のアクションは、スリルも興奮の盛り上がりも生まない。
本当に惜しいんだ。ディテールに愛があるんだから、大きな筋を大切にし、王道として必要な部分をバカにすることなく、娯楽の王道を抑えて欲しかった。骨が王道でかまわなかったと思う。和製ウェスタンを格好良く作るその思いが熱いんだから、その分しっかりと地固めすれば大傑作になったのに。後ギャグが空回りするのは、ご愛敬なのか?弁慶のくだりなんて一切いらないよ。俺が編集なら間違いなく切るね。それでこの映画はより傑作に一歩近づけたはずだし、何より長い上演時間が気持ち良い長さに收まるから。