『決壊 上・下』 平野啓一郎

問題作なんだろ。
サカキバラ事件から始まって、著者が最近ずっと拘っていたネット周辺のことを踏まえ、猟奇殺人と新しいコミュニケーションをテーマに、現代の側面を書ききった一冊なんだろ。
確かに「文学」としては、重くこちらに突きつけてくる問いは、こうした形で提供するに値するだろう。が、どうしても「文学」なんだ。著者の中で深く推敲され、深淵考慮された現代のコミュニケーションと暴力の深淵と危機を体現する主人公の、文章中の思考や行動、物言いが全て優等生な「文学」でしかない。
「文学」の人達には、馴染みやすい文体、文章なんだろうが、今の文章として、リアルなこととしての質感よりも、安全な場所に立ち、深刻な顔で知的な思考を巡らす「知的エリート」の嫌らしさがどうしても滲んでしまうと感じるのは俺だけか?