『ローガン』 映画 そして、父になる

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ローガンの物語が終わった。

10年以上に渡り彼の姿をスクリーンで観てきた私達は静かに彼を送るしかできない。

彼の最後の物語が、守り抜きたかった『父』と守り通した『娘』と共にあった事が嬉しい。

 

R指定の過激な描写のアクションシーンも多いが、観終わった後に残るのはなんて静かな栄がだったんだろうという感触だ。

 

3組の親子が、登場する。

老齢に至り己のチカラをコントロール出来なくなり自らの子供達を誤って殺してしまった後悔に苛まれる親と同じく老齢により己の根幹となる力を失いつつある子の最後の道行。まるで老老介護だ。

その上、死に近づいた父から過去の行いを全否定するような怨嗟の言葉すら聞かされる。ヒーローであった二人が社会から祝福も葬送される事もなく、衰弱と圧迫により悲壮な旅を続けていく。その姿に胸が熱くなる。

何よりも心に焼き付くのは、スーパーマンのように明確に世界を滅ぼす絶対悪と対峙してスターになり社会に受け入れられたヒーローではなく、マイノリティへの迫害に抗いながら自らの存在を認めさせてきた『ヒーロー』だったX-MENの最後が、やはり誰にも見届けられることなくマイノリティ同士の闘いの中で、静かに閉じられる事だ。

もう一組の健全な市井の親子も、父は家族を守るために闘い子は父を見守り追っていくが、やはり社会から賞賛される事はない。

最後のローガンとローラの父娘も最後に心を通じ合うが、死に行く者のはマイノリティ達にだけ見送られ、人の近づかない森の中に埋葬される。

状況だけ見れば、あまりにも悲しい最後だ。

しかし、ローガンの道行きを見届けた観客の私達だけは知っている。

最後の瞬間に彼がローラから、力の使い方や存在の意味を説く導者として、彼女を守る守護者として、彼女へ明日を繋いだ父として、つまりヒーローとして受け入れられた事を。

娘に明日を繋いだ父として、大切な者にとってのヒーローとして満足して死んで行った事を。

ローガンは、始めから誰かに認められ賞賛されるヒーローになりたかったわけではない。

人体実験により産まれたモンスターだ。

その事を何よりも自覚し苦悩してきた彼だからこそ、父を守りきれずとも父と自らの希望を託した小さな存在が、彼の必死の行動を通して彼を認め受け入れ、大切な人として見送られた事に喜びを感じただろう。

 

ストレートなヒーロー映画ではないが、だからこそ真の意味でのヒーローの物語だった。

去りゆくローガンの心情を思い、この先事あるごとに見返したくなる映画だ。