私の頭の上を通りすぎて行った男たち 人格を形成してきた読書遍歴

※この記事は、自分語りです。しかも長い。

 

夏休みに、10代の頃を思い出し、私の人となりに影響を与えた作家たちについてつらつらと考えてみた。

10代の頃の読書は、もろに人格に影響を与えてるなあと、改めて思った八月の暑い朝。

 

小学校低学年の時、図書館においてあるジュブナイルシャーロック・ホームズ全集にはまり、イギリスのスノッブと探偵に憧れる。

大学入学後探偵サークルへ入部。

 

その後図書館の小学生向けSF全集から、本格のSF全集まで触手を広げ、筒井康隆の狂気と光瀬龍の浪漫に痺れる。

 不信な癖にメディアに近いところどで働いているのは『東海道戦争』のせいさ。

またこの頃、古本屋という存在を知り、大人コーナーでSMスナイパーと衝撃的な邂逅。淫靡でアンダーグラウンドな緊縛の虜に。

「SMスナイパー」の画像検索結果

このあたりの影響と趣味の世界は、このブログではなくU-18の別ブログで。

 

本ではないが、テレビで『宇宙戦艦ヤマト』『ガンダム』と二つの巨大な彗星が人生に飛来。オタク第一世代として順当な道を歩みはじめる。

ヤマトのファンジンを、当時大好きだった女子と作っていたのは、甘酸っぱい思い出。

そしてマチルダに恋し、スレッガーの無頼さに憧れ今のフェミニンなナンパ野郎の道へ。

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中学三年。受験は県内有数市内一の進学校に合格するのはなんとなくわかったいたため適当にやりすごしているその時、ついに栗本慎一郎『幻想としての経済』に出会ってしまう。

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過剰と蕩尽。蕩尽のための日常。パンツを脱ぐために履いた猿。今までの稚拙な人生観はことこどく崩壊し、偏った人生観の基礎が出来上がってしまう。

そして坂口安吾堕落論』で、堕ちた先にしかない真実を語る無頼に触れ、周囲の全ての大人と学友が馬鹿にしか見えなくなる。

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だめ押しでつかこうへい『熱海殺人事件』小説版と戯曲版が百姓、ド田舎者への憎悪を肯定し、かなりのジャックナイフ感を醸し出していた。と自分では思っていたが、ただのネクラな自意識過剰な嫌な野郎でした。

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高校時代は本ばかり読んでいる偏屈なガキで、孤独と孤立は俺の友と嘯きながらも、小学4年から続く学級委員連続登板を更新し9期完投するという、なんだかよくわからない青春を送る。

余談だが、中学三年で転校した超絶な美女同級生に高校で再開し、村下孝蔵「初恋」のまんま校庭を走る君を僕は遠くで見つめていたが、大失恋を二度経験する。

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栗本を追いかけ明治大学に入学したは良いが、リサーチ不足で法学部ではなく文学部に入ってしまい、講義やゼミに正式には参加できず、仮面法学部生として授業を受けるも本来の学部では赤点ばかりで最低限の成績、あやうく留年しそうだった。

 

当時住んでいた杉並の駅そばにあった貸本屋(!!)で村上龍『愛と幻想のファシズム』を借りて読んだことが、私の人格形成の最後の一打となる。『コインロッカー・ベイビーズ』『テニスボーイの憂鬱』各種エッセイを貪るように読み漁り、俺はなんで村上龍ではないんだろう、この蕩尽スタイルこそが俺の人生だと完全に刷り込まれ、今の私が完成した。

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こうやって振り返ると、うん十年たった今も基本はあの頃と何も変わってないな。

良し悪しや、行動の基準になる価値観はこの時形成されたもののまんまだ。

もちろん社会人としての経験を経て、表へ出す方法や人との距離の作り方はかなりマイルドになったけれど、大元のコアは変わってない。

 

というのが、私の読書遍歴10代編です。

このあとは雑食と化し、活字中毒へのまっとうな道を歩んで参りましたとさ。

おしまい。

 

 

堕落論 (角川文庫)

堕落論 (角川文庫)

 
小説熱海殺人事件 (角川文庫)

小説熱海殺人事件 (角川文庫)

 
愛と幻想のファシズム(上)

愛と幻想のファシズム(上)