『まるで天使のような』 マーガレット・ミラー 本 読書メーター

まるで天使のような (創元推理文庫)
 

 スカンピンで女にふられても軽口をたたきながら、飄々と勢いと口八丁で乗り切ろうとする根なし草な主人公。それだけで強く共感する。行き掛かりで調査を始めた事件で、依頼者や被害者と触れあううちに、その軽さを残しながら人の想いに応えるために変わっていく様子が独特で胸に届く。作者の夫を含む多くの先達が残したハードボイルドとは一風異なる感触が非常に心地よい。ラストの展開よりも、主人公にとっての天使との約束を行き掛かりを装いながら守り通して行く言動の肌触りが私には一番の魅力だ。

『その可能性はすでに考えた』 井上 真偽 本 読書メーター

その可能性はすでに考えた (講談社文庫)

その可能性はすでに考えた (講談社文庫)

 

 「その可能性はすでに考えた」この一言の格好の良さったらない。全ての探偵が憧れる。俺も言ってみたい。キャラクターや謎の設定が、いかにもなのが個人的には好みではないが、ミステリーの新しい可能性や楽しさを広げてくれた事は称賛に値する。いかにも講談社ノベルズっぽいし。

『凶犬の眼』 柚月裕子 本 読書メーター

凶犬の眼

凶犬の眼

 

 狼の血を引き継いだ若い野犬ともう一匹の気高い狼の話。ひりつく都市と対照的な田園風景の中で始まる物語のギャップに戸惑うが、国光の登場から男の世界が展開されていく。任侠に生きる国光の存在は懐かしい漢の姿で、燻し銀の魅力に溢れている。その分、前作の大上のような強烈さは薄い。凄みを増していくスカーフェイス日岡の変わりようも同じように静かだが、国光と兄弟の杯を交わす日岡は、大上と一ノ瀬の関係を越え新たな狼の誕生を感じさせる。男が男に惚れる。これ以上痺れる物はない。次作では狂った獣としてギラつく街で暴れて欲しい。

『ファントム・スレッド』 映画 幸せと言う名の地獄 平凡な女は愛の名の下に、勝手にミルクシェーキを飲んじまうんだよ

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第二次世界大戦後のイギリス。フィルムに納められた英国の街並みは気高く美しい。

そうした美しい世界を背景に繰り広げられるのは、優雅な音楽と映像で描かれた愛と言う名の恐怖と幸せと言う名の地獄だった。

観賞後、身体と心が震え続けるほどの大傑作。PTAの映画は他に換えがたい衝撃をいつも私に与えてくれる。

 

 オートクチュールのファッションデザイナーが、理想の体型を持つ田舎街のウェイトレスを見初め、ミューズとして向かい入れる事から物語は始まる。

完璧で美しいドレスを作り続ける天才デザイナーと普通の生活を送っていた平凡な女性が混じり会う事でお互いを敬い尊重し合う美しい愛の物語りでもなければ、二人だけの愛の形を作り上げる芸術作品でもない。

私には、一つの類い稀な才能が、普通の愛と言う傲慢な感情によって破壊される恐怖映画だった。その恐怖に加え、才能の持ち主が壊される事を喜んで受け入れる幸せな地獄を見せつける恐ろしい映画だった。

 

主人公ウッドコックが生活の端々に自分ルールを決める事は気難しかったり融通がきかないわけではなく、仕事に集中するために必要な事なだけだ。人生の全てを美しいドレスを作る事に捧げた男にとって 、デザイン以外の事柄は全て雑事だしノイズなだけだ。

そんな男に見初められた女は、ただそれを受け入れれば良いだけなのに、なぜ自分の存在をアピールし、私を見てなどと傲慢な感情をぶつけてくるのか。

マウンティングだけなら可愛いものだが、シリアルを歯でこそぎ落とす食事を受け入れる愛なんて、どんな男にだって無理だ。がそれすらも受け入れないと普通の女性との常識ある生活は成立しない。そんな幸せならいらない、仕事と私のどちらが大事なんて口にする女をできる事なら拒否したい、それが言えず受け入れるからこそ成立するのが、常識ある生活だ。

誰からも認められる才能のある人間に、そんな常識を臆面もなく押し付けるお幸せな常識ある正しい姿の醜さを、柔らかく美しい画像で突きつけてくる。

崇高な魂や存在は、いつだって普通という理性的な俗物に破壊される。

それは、特別な事ではない。それだけで終わるのならこの映画はちょっと良いだけの映画だ。

 

この映画の凄みはこの恐怖の先にある。

ミューズであるアルマが中盤でとるある行為。それにより生死をさまよう窮地に陥るウッドコックは、朦朧とした意識の中で、失ってしまった母の亡霊を見る。

デザイナーになるきっかけになり永遠の存在である母の姿を垣間見る事で、死と直面した状態がウッドコックにとって大きな意味のある時間になる。この倒錯こそがこの映画の肝だ。

PTAがこの映画の構想のきっかけの一つは、仕事人間である監督が高熱を出した際に、普段省みる事のなかった妻がかいがいしく自分を看病する姿に、彼女は永遠に自分を病的な状態にしておきたいのではないかと感じた事だとインタビューで答えている。

愛と言う恐怖が与える慈しみと傲慢と堕落と崩壊と安心のカオス、崩れていく中で得る事ができる胎児への回帰と安堵が、単なる恐怖をそれ以上の地獄に変えていく。

 

エンディングでウッドコックにアルマが強要する将来の様子の穏やかな状態が幸せに溢れてるからこそ、地獄の恐ろしさが浮き彫りになる。

病的な状態のウッドコックは、アルマの想いを受け止め己の才よりも相手の愛を許容し共存しているように見えるが、アルマの気づかない心の奥で亡き母の存在を感じる事を本当は求めている。アルマにとって理想的な状態に見えるが、実際にはそれ以上にウッドコックの自己完結した想いが強いのだ。

お互いだけの秘密を共有し、倒錯した愛の形を得て幸せそうに見える二人の間に横たわる、絶対に超える事のできない溝。なんて美しく、醜悪で恐ろしい幸せだろう。

 

今年上半期の私のベストムービーだ。ぜひ劇場で心も体も震えて欲しい。

『孤狼の血』 映画 男臭さ溢れる野蛮な映画 臭いのが良いんだよ

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仁義なき戦い』『県警対組織暴力』に強い影響を受けた柚月裕子作『孤狼の血』の映画化。

オープニングの東映のロゴは、今のCG版ではなく昭和の波濤だ。

その後のアバンタイトルも赤字縦書きの役者のテロップで懐かしさ感じさせる。

勢いある手書き文字でなく、綺麗なタイポグラフィなのが今時だ。そして、鑑賞後感じる微妙な違和感を、このディテールの違いが象徴していると感じた。

少し荒れ目の画調や色調も、深作ヤクザ映画を強く意識していて、時折使われる斜に構えた手持ちのカメラの再現まで、この映画の目指す世界は一本筋が通っているし、全てが本気で作れらた映画だと感じるのも間違いない。

この強い心意気と、再現された昭和、役者たちの文句のない演技を観るだけでも、十分に価値はある。スクリーンで広島弁をがなり合う粗暴な映画の、なんて魅力的なことか。

役所広司演じる大上が吠え、松坂桃李が強い目で熱く語るシーンなど、鑑賞中は暑苦しい男たちの姿に熱い血潮が胸に沸る。

 

しかし、鑑賞後感じるのは微妙な違和感だった。

第一は、肩で風きって映画館を後にできなかった事だ。

間抜けなようでいて、深作ヤクザ映画/東映ヤクザ映画を観終わった後、一番に重要な事は、登場する男の魅力に魅せられて登場人物の一人のような高揚した気持ちになれる事だ。

アウトローではあるけれど、一人の男として筋を通す、我慢に我慢を重ねた上で怒りを敵役に爆発させる、牙を抜かれて日々を生きざるをえない自分が、男としての義と野生を刺激され、あれは俺なんだと問答無用で感じさせてくれる強さこそが、ヤクザ映画の強さだ。

この映画では、主人公大上の存在は、粗野だが卑ではなく筋は通している魅力的な男であるのは間違いないのだが、正義の人としての側面を最後に強調しすぎ牙のある男ではなく、良い人になってしまっていた。

このあたり原作では、ディテールを積みかせね、良い人に振り切らず、信じる正義のためである事二代わりはないが、自分の信じる事だけに生きる狂気ギリギリの存在に描かれていて、強く共感できた。言葉を積み重ねる事のできる小説と映像で見せなければいけない映画との差といえばそれまでだが、近年邦画では描かれなかった魅力的な男であるだけに、非常に残念だ。

 

第二は、ヤクザに魅力がなかった事だ。

江口洋介が演じる一ノ瀬や、ピエール瀧石橋蓮司竹野内豊らは、強烈に個性的なヤクザを演じていて『アウトレージ』とは異なる現代東映ヤクザ映画として、すばらしい存在感を示してはいた。

繰り返すが暑苦しい漢たちを感じるだけでも十分に価値のある映画であるのは間違いない。

が同時に、ヤクザ映画である以上、特に昭和のヤクザであるのならば、男としての筋を通す存在が必要だった。ここも小説では一ノ瀬が担っている部分だが、映画では物語を完結させるために、大きな変更をしてしまっていた。

殴り込んじゃいけん。しかも子分に罪をなすりつけちゃいけん。

男であるべきだった。この部分だけは、映画のためとはいえ、どうしても納得できない。

大上がヤクザは駒だと割り切っていたとしても、任侠を守る親分だけでなくその意思を組む一ノ瀬は男である存在だから雑には扱っていなかった事が、男映画としての響くポイントのはずだ。そんな一ノ瀬は日岡はそれでも罠に嵌める、自分の信じるもののためには、との流れこそがより日岡の意思のありようを強く印象付ける事ができたのではないかと思う。

 

この数年邦画にはなかったヤクザ映画として注目を浴びるだけの価値のある、強く男臭い映画だ。

いくつか不満はあるものの、それを補ってあまりある映画であるのは間違いない。

キラキラ映画なんて観ている時間があるのなら、ぜひ劇場で鑑賞して欲しい。

その後ぜひ原作を読んで欲しい。大上や日岡、一ノ瀬の魅力がさらに増し、映画と小説の両方が一層好きになる。

 

薬局のバイト役の阿部純子が良い。

清純な女子の顔と「オメコ」魅力的に口にできる女の顔の二つを違和感なく自然に演じられる女優ってそうはいない。

『孤狼の血』 柚月裕子 本 読書メーター

孤狼の血 (角川文庫)

孤狼の血 (角川文庫)

 
男臭い。痺れた。昭和だ。東映ヤクザ映画だが作者にしか書けない、暑苦しい男の話だ。正義とは何かの話でもあるし、仕掛けられたどんでん返しに驚く上質なミステリーでもあった。なんだか最近、正義とは何かとか、男とは何かみたいな話ばかり読んでいたが、血沸き肉踊る濃厚な体験ができた。男なら、と言うと怒られるので、俺だって日岡のように血を継ぎたい。大上のように無頼に己の信念に正直に生きたいと思う。倫理や常識などつまらん足枷にしばられず、孤独を恐れず、欲望に陥らず、我が道を颯爽と走り抜く。なんて格好良いんだ。男臭さ最高だ。

 

『鳩の撃退法』上・下 佐藤 正午 本 読書メーター

鳩の撃退法 上 (小学館文庫)

鳩の撃退法 上 (小学館文庫)

 

 なんとも不可思議な手触りの物語。信頼できない話者が書き連ねる、時制や口調が入り組んだマトリョーシカのような作品。下巻でどうなる?

 

鳩の撃退法 下 (小学館文庫)

鳩の撃退法 下 (小学館文庫)

 

 最後の最後まで、不可思議な手触りのままの、読む事が愉しい小説だった。鳩の話や、ピーターパン、家族の幸せなどキチンとオチをつけるし伏線も回収するし筋は通っているのだけれど、作者を投影した作者役の登場人物やフィクション内の虚実の関係などメタな構造や時制のシャッフルによる混乱や暗喩隠喩の飄々とした表現も含め、ストーリーでなく、小説を読んでいる時間を楽しむ、読書そのものが気持ちよくなる作品だ。作者の騙りを、読み手としてリアクションしながら楽しんでいくのが最適な読み方なんじゃないだろうか。あー愉しかった。