「NEREV/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム」 もっともっとと、調子に乗ってるのは楽しいんだけどさ。

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高校卒業を間近に控えたニューヨーク傍の島に住む女子高生が、ひょんなきっかけでネットの匿名動画投稿サイトで開催されるゲームに参加したところ‥

と言うようなあらすじ。

 

本当は美大に行きたいと、母子家庭の母には言えず、つるんで居る女友達に馬鹿にされながら片思いのアメフト選手にふられ、勢いで最初のチャレンジ「見ず知らずの男と5分キスしろ」をクリアし次々とゲームに挑戦していくあたりから、あっという間に映画に引き込まれた。

 

匿名でチャレンジするゲーム、ネットで公開される「過激な」トライとしては可愛らしい内容だからもあるし、あつ、これくらなら普通にあるじゃんと、普段の延長線上に上手に設定された内容な事と、相手となった見ず知らず男子と、冗談キツくねぇ??くらいのレベルに過激さを増して行く様子が、微笑ましかったからだ。

 

まだ誰とも知らないが自分の好きな本を読んでいる一見安全そうな様子とイケメンな理由だけで選んだ他人の男子と突然のキス、タンデム、超高級ドレスの試着、一緒に靴を選ぶ、下着で一緒にデパートから脱出と続くゲームの内容がテンポよく、観ている間、次は?次は?と興味を引きつけるのと同時に、登場人物二人の関係が深まっていく様子と上手くシンクロしていて、心地よかった。

 

並行して、主人公を見下していたはずの女友達が、主人公達カップルが自分よりポイントを稼ぎ注目を浴びて行く事に、嫉妬と承認浴を刺激され、惨めに落ちぶれていく様子が描かれるのも面白い。

 

賞金とふられたショックで軽く始めたはずの主人公と、はじめからネットでの匿名の観客から褒めそやされ承認されること、その価値が自分にはあると確認するためにゲームを続けていた女友達という対比が、この先の建物の間に渡したハシゴの上をわたるといアクロバティックで過激なチャレンジを受ける事へ繋がっていくのも興味深かった。

 

ネットで自分に関わる事を発信する、発信したいと思う人間は、そのベースに多かれ少なかれ承認欲求と自己の価値を他者から肯定されたいと言う欲があるのは、誰もが認める当たり前のことだろう。

そのあたりの前の行為を通して楽しんでいたはずの存在が、簡単に新しい価値に取り替えられ、存在の危機に陥っていく様子は、そのまま自分自身にいつでも起こる悲劇だ。

匿名の観客はいともたやすく、過激な事を求め、もっともっと俺たち私たちを楽しませてくれと迫ってくる、その無茶な要望に答えられなければ、そく手のひらを返し、目新しい対象に興味を移していく。

 

この映画の結末に、少し納得がいかない部分、結局だれがこのゲームサイトを立ち上げたのか?が描かれないのは、サイトを物理的に作った者が問題なのではなく、そのサイトの構成員として場を作っている、そうした匿名の存在が問題なんだと意識されているからだろう。

こう書くと、もう教科書的な当たり前の問題の指摘でしかないし、なにか目新しい事が描かれているわけでもない。

 

それでも、この映画が面白いものになっているのは、その当たり前が観客の日常に繋がっていること、当たり前だけれど重要でキチンと向き合わなければならないものだと、冒頭からのわくわく感と観客と言う匿名な存在としてゲームの行方を楽しんでいる状態から、自然に体感させる事ができている点にあると思う。

 

いわゆるヤングアダルト映画かも知れないが、破天荒でなく、手垢のついたスリラーでもなく、映画を観ている事が同時にゲームの観客として匿名な誰かとして楽しんでいる事に気づかせる作りは、充分に大人の楽しめるものだ。

 

ラストシーン、主人公の男女がお互いの名前を伝えあい、新しく二人の関係が始まる。

匿名な誰かとして映画とゲームを鑑賞しているうちに問題を指摘され考えさせられたあとの状態で観る、朝日の中で改めて男女がお互いの名前を口にするシーンの、何か(楽しい事)を始めて行くだろう予感は、爽やかな気分を観客に与えてくれる。

「ミケランジェロ・プロジェクト」 俺たち特攻チーム!アメリカが世界の芸術救ってやるぜ

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あらすじ:第二次世界大戦末期、ナチスが略奪し秘匿した多数の芸術品を探しだし奪取するために、米軍に設立された学者や専門家たちの特別チームが活躍する。
 
ナチスに略奪された芸術品と言う点が「黄金のアデーレ」と似ているが、映画としてのテイストはまるで違う。こちらの映画は、基本的にはハリウッドらしいスタームービーで、チーム結成、凸凹チーム員の成長と交流、活躍、悲劇、ヒトラーによる危機的命令発動、象徴となる対象の救出、作戦成功、と王道の展開がそつなく描かれていく。往年のハリウッドのようにある種の能天気さやアメリカ1番の能天気さはないが、正義は必ず勝つと言う本筋は少しもぶれていない。ロマンスも忘れないし、見事にハリウッドエンターテインメントだ。
描かれるナチスや、それに抵抗する人々の様子も、分かり易く、善悪の定義に悩む事もなく、安心して鑑賞できる。
 
ジョン・グッドマンビル・マーレーの演技や、ビル・マーレー演じる建築家の家族からのクリスマスメッセージのシーンやケイト・ブランシェットのインテリパリジェンヌ姿など、興味深いシーンも多いが、いかんせん「黄金のアデーレ」でのヘレン・ミランの演技や、美術品略奪の背景の描かれ方などを観た後では、どうにもこの映画から響く部分が無い。
エンターテインメント映画としては、美術品救出のための素人チームが活躍するという設定で、充分に楽しませてくれるだけに、同じようなテーマを扱った映画が同時期に公開されていたのは惜しい。
逆を言えば、今残っている数々の芸術品を実際に鑑賞できる事の歴史を、硬軟両面から楽しめる良い機会だと言えるかもしれない。
 
あんまり難しい事考えず、優れた役者の演技と、大仰ではなくしっかりとした演出で、映画を楽しみたいって時には良い映画だと思う。
 

「ドント・ブリーズ」 神も仏もあるものか

 

 

 
「ドント・プリーズ」だとずっと勘違いしてた。
ホラーと紹介している人もいるが、恐怖映画と呼びたい。
始終恐怖感が半端なかったし、登場人物のうち主要な一人の人生の背景に心理的な恐怖を感じた。
 
ストーリーはとてもシンプルだ。 
適当な逃げ道を準備しながら泥棒で小金を稼いでいた三人のテーィンが、過疎区画に住む大金を手にいれたと噂の老退役軍人の家に忍び込んだら…。
 
ワンシュチュエーションで、盲目の老人1人と若者3人が対峙するというアイデアが秀逸だ。
盲目だと言うだけでどこか舐められ、老人であることでさらに甘く見られていた老人が、盲目であるからこそ、若者3人を恐怖に陥れていく。若者3人がクズな設定なだけに、冒頭では泥棒の被害者である弱い老人に観客も同情するが、話が進んでいく中で、反撃力の高さ、老人の隠れた狂気が順に露わになっていき、誰にも感情移入できないまま、観客が恐怖のシュチエーション取り残され翻弄され続ける。
 
盲目の老人の反撃で、彼と同様に何も見えない闇の中で若者が追い込まれていくシーンが面白かった。暗視フィルーターのような画面の中、近寄ってはいけない方向に進んでいく女子がどうなるか、昔懐かしい志村後ろ状態の恐怖に目が釘付けだ。
 
最終的に誰一人、正義感や倫理感では感情移入できない。強盗に入る若者3人に許される余地はないし、老人の生活を破壊して良い理由はない。反撃する老人に正義はあるが、途中で明らかになる彼の行動には同情の余地はない。しかし老人が神の不在を口にするシーンあたりから、登場人物達への見方が変わる。
恐怖の連続に変わりはないが、イラク戦争で戦闘でではなく事故で盲目となり、娘を交通事故で失い、加害者は金で釈放されると言う経験を経た老人の心情、正義をなす神など信じる事ができなくなった心情を想像すると、単なる善悪では割り切れなくなり、老人をモンスターとは思えなくなる。
 
女子が妹に、不公平でも正されないことがある、のような事を説明するシーンがあるが、この作品の通底には、こうした不公平、不平等で理不尽な不幸から抜け出せない状況がある。恐怖の殺戮が続く老人の廃屋のような家だけでなく、状況的に絶望的な閉鎖空間にどちら側の登場人物も置かれているのだ。
明るい日差し、青い海のあるLAへ街から出ていく姉妹は、物語の終わりの救いや希望かもしれないが、その先の世界も同じように神不在の地だとするなら、結局はどこにも救いがない。物理的な恐怖だけでなく、この抜け出せない絶望もこの作品の恐怖だ。
鑑賞後の重く苦い気分は、今ここも同じ閉塞した絶望の世界だからかもしれない。
 
ただ単純に、怖くて面白い良くできた恐怖映画だった事に変わりはないけど。

「ネオン・デーモン」 無機質で低体温な女は好きですか?


 

 
強烈な印象を残す映画だった。
N.Wレフン監督でしか創れない、個性の塊。間違いなく映画の快楽に満ちた作品だ。それも一級品の。
 
東海岸のファッションモデル業界での、裏の世界のドロドロ、みたいなあらすじは、どこかの映画サイトで確認してほしい。
 
この映画は、ストーリーの展開を楽しむものじゃない。
カンヌで絶賛と大ブーイングのを受けたってのも、素直に理解できる。ハリウッド的ストーリーやドラマはないし、人の存在も、メッセージもない。
「ドライブ」「ヴァルハラ・ライジング」の圧倒的な暴力や、「オンリー・ゴッド」のどこかチャーミングな狂気などを期待すると大きく肩透かしをくらう。
こう書くと褒めるところがないようだが、他に代わりがなく、レフン監督の他の作品に勝るとも劣らない魅力に溢れている。
 
この作品で大きく印象に残り、強く心に刻まれるのは、無音と無機質で低体温の狂気のテンションだ。冒頭タイトルバック前、製作会社や配給会社のロゴが登場する時点での無音。この数分だけで俺はもうこの映画にがっしりとハートを掴まれた。なんの画も出ていない時点でピンと張り詰めた無音のテンションに脳が震えた。
その後に続く主人公エマ・フェニングスのカット、カットバックされる男の顔。まばたきすら惜しくなった。メイクの女性が近づくだけで、そこはかとなく性的な欲望が透けて見える緊張感。思い出すだけでも、緊張に触れた気持ち良さが戻ってくる。

最初から最後まで、人間の体温を感じさせない無機質な温度を持ったテンションが続く。
いろいろな楽しみや快楽が映画にはあるが、このテンションに晒され続けるのは、スクリーンに対峙した時にしか味わえない悦びだ。
映画に物語や意味を求める観客には、本当に退屈で、花どころか何もない物語だろう。田舎娘が特異な才能を認められ、成功の道を歩み始めると落ち目手前のモデルの先輩に嫉妬されて…という有りふれたものだから。
 
終盤でいきなりショッキングな展開でやっと物語が動き始める。いかにもレフン映画らしい展開だし、このあたりの画の強さは期待を上回った。そこまでの圧倒的な空気だけでも満足だった上に、追い打ちをかけるエロスとグロテスクに完全にノックアウトだ。
主人公を食べたモデルにカリスマフォトグラファーがどこかであった事がないかと質問し、急遽モデルとして登用する展開、もう一人が耐えきれず狂っていく展開、最後の最後にあれを口にし口元を持ち上げるモデル。
強烈な展開のはずなのに、無機質を貫き通し体温を感じさせない画とテンションが、とてつもない静かな狂気を心に刻み付ける。
エンドロールの安い曲調の主題歌がまた絶妙なバランスで、最後まで震えっぱなしだった。
 
今までの男性的な圧倒的な暴力やセックス、激烈な狂気をデザインされつくした独特の画力でぶつけてきた監督が、女性を主人公に据え今までとは異なる手触りとテンション=無機質で低体温な空気で、その後ろに静かに煮えたぎって存在する狂気と暴力とセックスを、美しい画としてまとめあげた映画、それがこの「ネオン・デーモン」だ。
 
好き嫌いがはっきりわかる映画だし、鑑賞する悦びおあまり人とは共有しづらいものなので、人に薦めにくい作品だが、スクリーンの上に広がる、映画だけでしか味わないぞわぞわするテンションをぜひ一度味わって欲しい。

「炎の回廊: 満州国演義四 」(新潮文庫) 読書メーター

 

炎の回廊: 満州国演義四 (新潮文庫)

炎の回廊: 満州国演義四 (新潮文庫)

 

 

二・二六事件や利権の鍔迫り合いなど内地での政変が、満州に更なる激流を産んでいく巻。「天皇は日本人が作った最高の虚構」と言う言葉に考えさせられる。虚構であるか否かではない。そうと考えながら尊皇を口にし、実際には政に利用する関東軍将校達の有り様にだ。己の利のために、錦の旗を言い立てる醜悪な様は、今の日本人も変わりない。 物語の始まりが白虎隊だった事、明治維新に根を持つ事の現れとして、薩長閥の事がさり気なく語られる。普段あまり言葉にはされないが、当時から今現在まで、薩長の権力志向や利権等が落とす闇と影は深い。

「群狼の舞: 満州国演義三 」(新潮文庫) 読書メーター

 

群狼の舞: 満州国演義三 (新潮文庫)

群狼の舞: 満州国演義三 (新潮文庫)

 

 

『国家を創りあげるのは男の最高の浪漫だ』の台詞に全てが表われている一巻。浪漫は人を熱くさせ、狂わせ、理想を語らせ、醜悪な欲望をたぎらせ、本性を顕にする。その瞬間に立ち会えていたら、長男太郎のようにいつの間にか浪漫の虜に間違いなくなっていただろう。成り立ちが謀略に塗れたものだとしても。当時市井の庶民だったとして、未曾有の不景気の中、満州の可能性に胸を熱くせずに、『理性的に』その欺瞞を指摘できたとは思えない。さらりと語られる内地の市民の反応こそが、突きつけられる現実だ。今を呑気に生きる私に批判なんてできない。

「事変の夜: 満州国演義二 」(新潮文庫) 読書メーター

 

事変の夜: 満州国演義二 (新潮文庫)

事変の夜: 満州国演義二 (新潮文庫)

 

 

満州事変から満洲建国へと時代の大きな流れの中で翻弄されていく四兄弟。官吏として関東軍の動きに翻弄される者。馬賊として否応もなく巻き込まれる者。軍人として国と理想のために突き進む者。モラトリアムの無責任故に過酷な現実に突き落とされる者。四者の立ち位置が、人知、倫理を超越したうねりを見事に描き出していく。褒められた物でないのは承知の上だが、激流の世界に胸が踊る。人の愚かさ、崇高さ、日本人として日本を思うこと、日本を捨てる侠義、いまここにある現実には見つけられない事柄に浪漫を感じる事は、危険な思いなのだろうか。